ゲハジは別に犬死でいいじゃない。

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ゲハジの上塗り 

皆さんは”歌”がお好きでしょうか?
言うまでも無く、歌は言葉に単に音程とリズムをつけたものではありません。”歌”は感情や思いを増幅し、人と人の思いや感情を同調させ鼓舞する事ができるのです。

先日の、地域大会の最後に212番の歌を歌った時、そのように感じられたのではないでしょうか。私たちはあの歌によってエホバに教えられた喜びや一致した民の中にいることの喜びを感じ、大勢の仲間があたかも一つになって神を賛美しているような晴れやかな気持ちになったのではないでしょうか。

このように”歌”は人間に与えられた神からの賜物であります。
そして、それは古代の神の民にも与えられていました。
その一つが”詩篇”であります。

この詩篇の歌とはどのようなものだったのでしょうか。共に調べてまいりましょう。

~中略~

今まで考慮してきましたように、詩篇とは150編の各々が神への賛美と公の崇拝に用いられる聖歌であると言えます。

それは!エホバへの賛美の歌です。しかしそれだけでなく、神に対する、憐れみや助けを求める祈願、信頼や確信の表現をも含んでいます。そして、随所で感謝や歓喜、大いなる喜び、そうです!最高の喜びを言い表しています。また、歴史の要約の形をとりながら、エホバの愛ある親切やその大いなるみ業に思いを馳せるものもあります。さらに、予言がいたるところに織り込まれており、その中には既に驚くべき成就をみたものも少なくありません。加えて、有益で人を築き上げる教訓がふんだんに盛り込まれており、そのすべてに聞くものの心を動かす、格調高い言葉と巧みな比喩表現が用いられています。

このように詩篇は、美しく調理され、食欲をそそる仕方で私たちの前に並べられた霊的な御馳走です。

では、私たちはこの書をどのように読み進める事が出来るでしょうか?

イエスは苦しみの杭につけられる直前の食事のさいに詩篇の113篇から118編を歌われました。
それはユダヤ人の習慣でしたが、イエスがこれを単なる慣習として歌われのではない事は明らかです。
(詩篇118、4、5節を読む)
確かにイエスは心を込め、この詩篇を歌われたに違いありません。
それで、私たちも、イエスがされたように自分の神への熱烈なる思いを込めて、この詩篇を読むことに致しましょう。そうする時、この古代に記された神への賛美に和する事になり、現代に於いて、神をより良い仕方で賛美することが出来るでしょう。


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なんか部屋を整理していたら、こんな割り当ての紙が出てきました。
後半なんか完全にイってますね。いや全部か。
にしても論理もへったくれもない文で恥ずかしいなぁ。霊的な御馳走云々なんてなんの脈略もなく飛び出てきてるし。しかもコレを下向いて、どもりながらか細い声でやるわけです。

誰も感謝に来ないわけだ。

I'm ashamed of myself
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