ゲハジは別に犬死でいいじゃない。

JW追憶記

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我が身に巣食う悪魔 

いつからだろう。いつから俺は悪になったんだろう。

電車で向かいに座る、祖母と孫の仲むつまじい姿を見てそう思った。小学校低学年だろうか。その男の子は祖母と出かけている事が心から楽しいという笑顔を見せている。

ゲハジが彼と同じ年頃に祖母と出かけていたなら、周囲を気にし、友人に見つかりはしないだろうかと苦悶の表情を浮かべていたに違いない。その表情が祖母を悲しませる事を知りながら。具体的な記憶を甦らせる事は出来ないが、実際にそのような事をしていたのは、想像ではなく事実だと思う。

小学校入学までJWの価値観しか知らず、同級生の悪行で、この世の価値観に気付き、所謂、裏表のある生活をし始めたため、これまでは小学校入学が自分の悪のスタート地点だと思ってきたのだが、思い返すと、それ以前にも親族に対してなど、人間を憎む傾向があった事に気付いた。

しかし、全くの赤子から親族を憎んだりする事は考え難いから、3歳から6歳くらいまでの間に私の悪は生まれたと考えられる。やはりそれはJWの教え故なのだろうか。或いは、やはり私の根源的な部分に悪が既に宿っていたのだろうか。

とは言え、小学校入学で我が悪が大きく増大したのは間違いない。連日のスカートめくりの狂気の沙汰がその証左だ。集会では殊勝に見えるように注解に励み、学校では一心不乱に破廉恥行為に及ぶ。これを悪魔による所業と言わずして何と呼ぶ。現実、同級生は私が近づくだけで叫び声を上げ遠ざかっていくのだった。スケベ大王と称されたゲハジ。家にはテレビなど無い上に、私が小学校に入学した当時には「毎度おさわがせします」なども放映されていなった。つまりスカートめくりなる所業をメディア等の情報から得る事は出来なかったのだ。そうだ、やはりあれは悪魔が私に仕向けた所為だったのだ。悪いのは私ではなかったのだ。

このような無価値な事を書くような私は未だ、その悪魔を祓う事が出来ずにいるに違いない。

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ユージュアルサスペクツ 

26日、前橋署は住所不定、自称作家のゲ・ハジ容疑者を道路交通法違反で現行犯逮捕した。逮捕容疑は進入禁止の道路を通行した疑い。同署によるとゲ容疑者は「あなた方はパブロフの犬だ」と意味不明の供述をしており、刑事責任を問えるかどうか慎重 に判断する模様。

いや、昨日、国家権力に捕まりましてね。あまり通らない所だったのですが、近道をしたくてナビの通りに進んでたら、時間指定の一方通行の場所に入ってしまって。「はい。お疲れー。」とお縄になりました。

日も暮れていて看板も確認し難い場所で、その看板も道路に広い交差点の先にあり、その道に入ってしまわなければ確認できない位置にあったんです。なので、僕の後にも続々同じような車が入ってきて結局10数台の車が捕まってました。

それを二人の警察官だけで処理しようとしていたので開放されるまでに1時間以上かかりましてね。多くのドライバーが処理の遅さに苛立ち、警官に苦情を申し立てていました。僕も苛立ちをその警官にぶつけて、「これだけの人が、警官が見えているのに間違って入るわけないですよね。看板が見えないのは問題ないんですか」とか言ってみましたが、華麗にスルーされてしまいました。

罰金7000円ですよ。旦那。ブックオフで100円の本を買ったら60冊以上買える値段。月に100円の本を1冊買えるか買えないかの生活をしている僕にとっては天文学的数字です。それでもう、何でよりによってあの道を通ったんだろう。俺は運がない。生きる資格が無い。などと憤懣やる方無い気持ちやら、死にたくなるような気持ちで昨日から過ごしていたんですが、ふと思いました。

あれでもこれ、他人から見たら「お前の注意不足だよ」で済まされる問題だよなと。警察には落ち度ないのに文句つけてる痛い奴と言われても全くおかしくない。

んで、JW問題もいくら本人たちが、この宗教にはまったのは組織の欺瞞だと訴えても、カルトや新宗教などとは関わらずに生きている人にとっては「自分の責任でしょ」という話にしか感じられない可能性が高いのではないだろうか。と思ったのであります。

多くの方は怪しげな宗教になど入ってはいけないと言う看板の存在を知っている。一方でそれに気付けない人はどうしても存在する。それなら看板を凄く目立つ物にしてくれればいいのにと思うのですが、社会はそんな事までやってられないのです。本当は今回のような事に対して理不尽であると心から思う人は看板を改良するように警察に申し入れたり、行動を起こすべきなのだと思います。でも、殆どの人は面倒くさいからそんな事はしません。しかもJW問題は一生の問題なので違反というか間違った人生を送ってしまったと気付いた時にはもうやり直しがきかない場合もあるのがつらい所であります。

だからそれでも、同じ過ちを知らない誰かが犯さない為に、自分の体験やJWの問題を手間がかかっても執筆されている方々には本当に頭が下がるのであります。
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誤解を恐れずに言えば、JWを経験した者はある意味に於いて戦争経験者の体験と同等或いはそれ以上の苦しみを味わったと言えなくも無いと感ずるのである。こと日本に於いては、宗教を信心する事自体が、現代の日本の価値観の中では、当然の如く奇異の目で見られ、特殊な事であるとされるので、一般社会など周囲の理解を得られないという点で、その苦しみはやはり戦争体験と比するほど強いものであると考える。戦争体験は国民全体が負い、その復興も全国民で行なってきた側面があるのに対し、JW問題に関わった人間はあくまでも少数派であり、夏になると蜂に刺される人がいても、また正月にもちを喉に詰まらせて死んだ人がいても、それは運が悪い人だけだと誰も根本的な対策を立てない問題のように無視されてしまう。

そこで、JW経験者がその体験を綴る時、同じくした経験者は共感を覚え、私は一人ではなかったと立ち上がる力を得るし、経験者ならざるものも理解を深め、エホバの証人だったという人間も、一介の普通の感情を持つ人であると感じさせるのに資するだろうし、あるいは社会復帰に対する助力を惜しまなくなるのではないだろうか。

ってですね。チェルベロさんのサイト:エホバの証人の子供に生まれてがリニューアルされました!
URL:http://www7b.biglobe.ne.jp/judecca/13/htm/
改めて読ませて頂いたのですが、上記のように、やはり一人一人の体験を残していくのって重要だなと思ったのでした。なら最初からそう書けよ。

今回のリニューアルの大幅な変更点はデザインの様ですが、それに加えその内容もやはり素晴らしいものだと感嘆いたしました。、非常にシンプルでその内容に読者の注意を向ける洗練されたものになっています。しかし、シンプルといって機能面で優れていないわけはなく、読者が、今、全体の中のどこを読んでるかが瞬時に判るデザインになっています。さりげない親切。それがカッコええ!

JWの体験を綴ったサイトは今までもありましたが、最近は特にサイトを構築して公開される方が少ない中での貴重なものとなると思いました。私ごときがJW体験記を綴る事の功利性を今更書く意味は無いと思いますが、ちょっと思いついたことを書かせて下さい。

最近はブログでJW時代の経験を綴る方が多いですが、ブログは参照するのが難しく、デザインによっては過去記事によい記事があってもアクセスが容易では無い一面があります。一方、チェルベロさんのようにウェブサイトとして纏めて頂けると、くり返し読むことが出来ますし、他のサイトやブログに参照がしやすいという利点があります。特に体験記などのある程度の分量になる文章はサイトとして残すのがベターなのだろうと思います。しかしサイトは更新が面倒でマークアップ言語等の知識も必要ですから、ブログを一方で持ち、関心を集めた上でサイトへ誘導するのが効果的なのかなとも思います。

てエロそうにすいません。

そんな事よりチェルベロさんの体験の内容ですが、僕が興味をひかれたのは、チェルベロさんが殆ど外部の力を受けずに脱JWを果たされた点です。死に物狂いという表現が適切か判らないのですが、非常な苦闘の末に自らJWの呪縛を解き放つ過程は、感動というと大変陳腐で失礼ですが、確かに心が揺り動かされました。

さらにチェルベロさんが、また自力で家族を説得されていかれるのですが、文面では比較的淡々とされた印象を受けましたが、相当の努力や苦悩があったのだろうと想像しました。未だ現役の家族を持ち、特に若年者の姉弟に離塔をさせたいゲハジとしては、さらに具体的に家族への説得が行われたかについて、これ以降の更新でこの点が詳らかにされていく事を希望しますが、全体のバランスなどの問題もあると思いますし、あくまで1読者の要望にすぎませんのでお気になさらないで下さい。しかし敢えて僭越を承知で言えば、チェルベロさんの記述に加え、ゆずぽんさんの、説得を受けた側としての心理にも興味があります。どういった思考の順序でJWの教理から逃れることが出来たのか知りたいです。とはいえ、これも勿論単なる一読者の淡い希望に過ぎません。

確かにチェルベロさんが多くの労力をはらい綴ってくださった体験はあくまで一つのケースであり、全てが自分の状況に当てはまる情報ではないかもしれません。しかし、このような一連の流れに沿った体験談が、読まれ、さらに他の元JWによって多く書かれて行くようになるなら、未だJW問題に悩む人々の行動に道標が打ち立てられ、足元を照らす光のようになるのではないかと思います。


かように私が殊更にチェルベロさんのサイトを褒めそやし(心から)、声高に喧伝するのには大きな理由があります。それはチェルベロさんが眉目麗しい好青年(想像)だからであります。これは単に私が美少年もとい美男子好きという変態めいた趣味に基づくものではありません。世に情報を発信するに当たって効果を高めるのに容姿端麗というのは非常に重要な要素になるからであります。例えば、聖書物語の本に出てくるイエス様の姿がフットボール岩尾のそれであったならば、2世の多くはもっと早くに離脱が可能だったに違い無い事からもそれは明らかです。あの整った顔、大胸筋に無意識に惹かれ、刑場の苦しみを増幅して読んだ筈なのです。


加えてテキスト部分ですが、私のブログの文を実力がなく過剰に宝飾した日本のB級ビジュアル系バンドに例えると、世界に名だたるRADIOHEADの木田以降の音に例えられるかもしれません。まぁ稚拙な例えで申し訳ない。つまり、淡々と感情を抑えた表現を用いて、読者にその中に秘められた感情を汲み取るのを委ねるようなそんな洗練された世界観のような気がしました。

ヴィジュの例。"shazna"


RADIOHEAD
everything its right place


おまけ

下のバンドはそんな敬愛するチェルベロさんに見ていただきたいバンドです。
"Unexept"
フィメールvoとデス?声、変拍子にクラシカルな旋律。なんかこれだけ書くと壺押さえてるような気がするのですが、ちょっと変な感じのバンドです。チェッキラp!

http://www.youtube.com/watch?v=kbSUEbG3OVE



いやいや、こんな神曲もあるでよ!と言う方、コメントお待ちしております!
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リハビリ&セラピー 

いつもの文章も勿論そうなんですが、今日のはほんとに独り言と、愚痴、自分への呪いでしかないのでお読みになることをお薦めできません。

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体の中を憎しみが駆け巡っている。職場の人間とのトラブルによるものだ。こういう時、私は狂気の人となる。家族で食事をしている中、妻が心配し、「どんな事を言われたの」と言うと、その人間の発言が頭の中で再生され、増幅され、第5~7胸椎の辺りを鷲掴みされたような感覚に陥って前後不覚となる。大きな声で叫びたくなる欲求を辛うじて抑えて寝室で布団に包まり、側臥位で足を抱き、幼児退行を起こす。頭の中でその人間に対する復讐を思い描く事で、体中に響いていた心音が落ち着く。子供が心配し、声を掛けてくる。多感な時期にこのような痴態を見るのは明らかに健全な教育を阻害する者に違いない。このような異常な精神状態が襲ってきた時に、瞬時に回復する方法は無いものだろうか。しばらくして、録画されたアメトーークを鑑賞する。森山中黒沢の芸を見る。彼女はかつて3人の中で最も目立たず、何をいってもスベるような存在だった。だが、現在はどうだ、歌芸や、コメント、全て3人の中でも最も輝いている。今の森三中を引っ張っているのは黒沢だと言っても過言ではない。才能はいつどこで開花するかわからないものだ。そんな事を考えている内に回復してきたようだ。所詮お前の苦しみなど、お笑い番組で解消されるほどの卑小なものでしかないのだ。ゲハジよ。いや、日曜日よりの使者の例に見るまでも無く、笑いとは、お笑いとは時に命を救う場合さえあるのだ。ありがとう千手観音かずこ。

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いやもう、頭おかしいんですけど、昨日、妻と安っぽいファミレス行ったんです。久しぶりに二人きりで出かけたんですが、通された席についてびっくり。対面のボックス席にかつて友達だったJW達が会食されてまして。その中には本当に僕によくしてくれていた兄弟もいて大変気まずかったです。向こうは僕の事など記憶に無いのか、普通に談笑してました。それは楽しそうに会話とかしてて複雑な気分になりました。元気でいてくれてよかったと言う気持ちと、彼らが真理だと思っていることが間違っているのを知っているのに知らせないでいる罪悪感と、彼らが自分を組織の規則に従って無視している事への悲しみと、その愚かさを嘲弄したくなるようなさもしい感情と。色々入り混じっていました。その兄弟たちの中には、かつての私よりJWとして明らかにやる気がなかった(勝手な憶測)兄弟もいて少し驚きました。それなりに大変なJW2世の人生ですが、JW企業とかに勤める事が出来て、親も健在で経済的な心配とかなければある程度流れに乗って辞める発想など抱かなくなるものなのかなぁとか思いました。

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今、なぜか記事を書き上げるモティベーションというか、気力が無くなってるような気がします。いや、そんなら辞めたらええ。お前さんの自由じゃ。という話なんですが、今の所、金をかけられる趣味とか持てない状況でありますし、一部の心優しい方からコメントなども頂けると嬉しいですし、文章を書きたいという情動そのものは衰えていない為、心の中でせめぎ合いが生じています。書きたい。でも書けない。こういう時は筆を一旦置くという手法もありますが、私の場合、書くのを止めると脳みそが文章を考えない虚無モードにすぐなってしまうので、なるべく下らない文でも書いていないと駄目なのです。ってこんな事、公開する内容じゃねーな。

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と言う事で、JWに関して言えば書くべき事を書く事が出来たならブログは卒業するべきものであるような気がする。書くべき事とは何か。JW問題に対する自分の視点とその問題の解決方法やその軌跡だと思う。であるのに、振り返ると私は自らのJW問題に対する視点や姿勢を隠すように記事を書いてきたきらいがある。JWに関する所見を正直に書こうとすると多くの人と衝突する事になる危険を恐れてきた可能性が高い。非常に醜い浅ましい根性だと我ながら思う。そう認識しているのであれば、それに従って行動を起こすべきだろう。だからこれよりは自らのJWへの思いを綴る記事をあげていこうと思う。そもそも誰の目にもとまらない事を前提として書き始めたブログなのだから何も恐れる事は無い。筈だ。


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芸術は悲しみと苦しみから生まれる。 

by ピカソ

立ち読みしたSNOOZERで08年ベストアーティストに選ばれていた"FRIENDLY FIRES"をばチェックドアウト。



駄目だ。俺にはおしゃれ過ぎる。カタルシスは十分だし、リズムも面白いし、ミニマルなメロディーもフックが効いてていいんだけどな。

逆にお洒落なルックスなのにサウンドは暴虐という"bring me the horizon"
チェルベロさん!お薦めっス!


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人でなしの恋 

花があった。道路に置いてあるその花の横には、ウィスキーの瓶が2つ、ビールの缶もまた2つ添えられていた。

そう、誰かが死んだようなんです。それは僕の家から10メートルちょっとの所にあり、仕事に向う際に目に飛び込んできたのでした。その事故が起ったのは恐らく今朝6時くらいだったようです。僕の家から幹線道路に出るにはその10メートルちょっとの路地を抜ける必要があるのですが、その出口の所に車ががっつりハマっていました。家から出てその状況を確認したのが7時。車は原型もしっかり残っており、大した事のない事故のようにも見えたのです。

家に戻り、家の周辺は危ないから気をつけようねと子供に話したゲハジ。実はこの時、妻とは夫婦喧嘩(例によって離婚するしないまで発展した。)が膠着した冷戦状態にありました。その後、そのイザコザを解決する為に妻と話し合いをする中で、家のすぐそばで交通事故があった事が話題に上りました。(こういう重要な話の最中に話題を変える事が妻には耐え難いようです。)妻が言いました。

「やっぱり。なんか時計をした腕が迫ってくるので目が覚めたんだよね」

「またーw」
一笑に付したゲハジでした。なにやかにやでその喧嘩には終止符が打たれた時です。玄関のチャイムが鳴りました。表に立っているのは隣家の御婦人です。御想像通り、私は人付き合いが苦手、というかその手の能力が欠落しているので、こういう時に対応するのは妻です。こういう所も耐え難いのでありましょう。
その御婦人は、我が家の窮状を慮ってくださり、子供の靴のお下がりを持ってきてくださったようでした。私はトイレで聞き耳を立てていました。この臆病者が。
話題は当然の如く、朝起きた事故の話題になっていました。この時、既にお昼前でしたが、まだその事故車は移動されず、依然として路地を塞いだままです。妻とそのご婦人の他にも、近所の人がその話題に入って、事故の詳細について色々と話されていたようでした。

家に戻ってきた妻に「人、死んじゃったの?」と聞くと、「そうみたい。向かいのおじさんが、大きな音がしてすぐに車の所へ行ったんだって。俺は刑事だったからそういう行動が早いんだみたいに言ってた。そしたら運転席の人が、助手席の人を引きずり出そうとしてたんだけど、もう死んじゃってて「もう死んでるよ」って言ってやったって話してた。で、その助手席の人、なんかジャラジャラ時計とかを着けてたって。」

「…」

まぁ別に殊更に世の中に説明できない事があるって事とかを主張したいわけでも無いのですが、今日(昨日)起った奇妙な出来事だったので書いてみました。

その運転手は飲酒運転だったらしく、そのまま警察署にしょっ引かれたとの話ですが、飲酒運転の被害?共犯?なのに酒をお供え物にするのってどうよって思ったのでした。あと、人が死んだ事故なのに鑑識の方たちがガハガハ笑いながら作業していたのも、なんだかなと思いましたが、仕事だからしょうがないでしょうかね。

ウチの子供がもし、その場に立っていたらと思うとぞっとしましたが、自分が寝ている間に10メートルちょっと先で、人が死んでしまった事に対して驚くほど無感動な自分にもっとぞっとしました。この人でなし。
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映画バンテージ・ポイント

bantage

スペインで起こる、アメリカ大統領狙撃事件を、8つの視点から描いた作品。8つの視点といっても8人の主人公というわけではなく、おおまかに8回の視点の変更があり、各々重点となる人物がいるという感じ。最後の8つ目の視点で始めてクライマックスが明かされます。こういうのをクリフハンガーと呼ぶ事を初めて知りました。(恥

イスラムのテロリストが犯人グループとして描かれるが、決してやみくもな狂信者には描かれず、アメリカにも非があるように読める部分も描かれてるので、頭の悪いゲハジも好感触。

この手の多視点を使ったり、斬新ぽい手法を使った映画(デパルマとかの)は手放しで楽しめる能天気ゲハジであります。デニスクエイドの顔は好みじゃないんですが、ストーリテリングの妙で最後までだれることなく見れました。

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この映画に限らず、アメリカの映画には、自国(の組織)の恥部や暗い部分を暴いたものが一定量存在していて、ゲハジも結構好きなんであります。ソダーバーグ関連のトラフィックとかシリアナとか。そういう自己反省的なモノが描けるのって社会が健全な証拠だよな。と。

でも、ふと今回の映画を見ながら感じたのは、そういう映画が描かれる一方で米国(だけじゃないですが)の犯罪的とも言えるような政策とか、軍事行動、諜報活動は結局続いている。とすれば、これは一種の免罪符的な効果を狙ってるのではないだろうかと言う事です。映画等で描かれる事で、いわば正義心のようなモノのガス抜きが行なわれてしまっているのではないだろうか。我々は、悪い事もしている。だが、それは言論の自由で表現する事が出来る。だからイイじゃないか。と言われているような気になりました。

寧ろ、アメリカ万歳!帝国主義万歳!イスラムとか 第3社会 第三世界とかキモい!という映画を描いた方が、実は世界をより正しい(←胡散臭い言葉ですいません)方向へと導ける。というかそういうモチベーションを国民に与えるような気がしたんです。

演繹して、JWブログに於いても現役の方の、所謂、「組織の矛盾は知っている、こうした問題がある、だが個人として正しく行動したい」というような主旨のブログも、一見真実を伝えているように見える映画同様の効果があるような気がします。
私のような頭のいくない人間は「あぁJWにも良識のある人がいるんだ、そういう部分も考慮しなくてはいけないな」と思ってしまう訳です。
逆に「JWマンセー!」「背教者とかマジキモいんですけど、みたいな(キングオブコメディー)」とか書いてくれると、JW問題はやはり是正せにゃいかんと言う気運が高まるんじゃないでしょうか。もしJW内部にいつつ、組織に壊滅的な影響を与えたいと考えてる、内部改革派のような方々がいるのなら敢えてそういうブログを立ちあげるのもアリかなと思いました。色んな人から物凄く叩かれて炎上したりするのに耐えて、反JWの火を絶やさない為に俺は頑張るとかやってたらカッコいいかも知れません。

てかゲハジよ、お前がやれ!

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あ、最近の映画って公式サイトも凄く面白いものが多いですよね。
この映画のサイトも凝ってて面白かったです。
公式サイトのリンク
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チェゲハジ14歳の革命 

最近、こんな感じのメールをたくさん頂いておりまして、決して困っているわけでは無いのですが、一応お答えしておきます。

(HN)桃子さん:「ゲハジさんて、可哀相な人ですよね。チョコレートを送ってあげたいんですけど、どうすればいいですか?」

答え:「ありがとうございます。大変嬉しいお言葉ですが、先日のエントリに示した通り、私には愛する妻がおりまして、郵便等で送られてしまうと、大事な包皮が剥ぎ取られる恐れがあります。私書箱を使って受け取れますのでメールにてご連絡下さい。」

(HN)リルカさん:「結局、毎回下ネタじゃないですか。ブログを閉じて、舌を噛んで○んでください。」

答え:「今暫くお待ち下さい。」

ええ。例の如くでっちあげでございます。
ゲハジのメールボックスは閑古鳥が常に囀っております。

バレンタインが近づき、スーパーでうずたかく盛られたチョコレートの前でもの欲しげに立って不信がられているゲハジでございます。チョコレートが欲しいんじゃない。そこにまつわる、人が普遍的に持っているであろう甘い思い出が欲しいんだ。でも、そんなものは無い。
そういえば、昨年の聖夜の際にチェルベロさんがこういうエントリを書く愚についてご指摘下さっていたのに、また似たようなエントリを書くこの愚かさをどうぞお許し下さい。断りも無くJW非モテ系ブログの一翼を担うと自負するゲハジとしましては否が応でも書かざるを得ないのであります。

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 バレンタイン。多くの人にとってこの言葉はロマンチックな感情を想起させるものなのかもしれない。しかし、事の本質を考える私ゲハジにとってそれは愚者の祭りでしかない。確かに、多くの人はそのイヴェントで起こった出来事から恋愛、結婚、はたまた交接などの快い体験が導かれてきた為、そのように感じるのかもしれない。だが、戦争が、幾らその後により良い社会を生みだとしても、それ自体が一方で生み出した悲劇は埋めようが無いのではないか。バレンタインも同様である。それから生じた悲劇に目を瞑り、その被害者の声に耳を傾けないのは成熟した社会のするべきことではない。

(※1)かの著名な社会心理学者イェフィム・グラフマンもこの点を指摘してこう言っている。「つまるところ、我々に求められているのはバレンタインに代表される愚行、つまり存在がそれ自身持ちうる価値を、本来より大きく逸脱させる、現代がその危うさに気付き、捨て去ったはずの非科学的な宗教的情熱とも呼ぶべき間違いを後世に継承していく事で証明しているような社会活動においては撲滅する為の最大限の努力を傾ける事を人類の使命とする事である。」
結局、我々は臍を噛む思いでJWと同じ道を歩み、人生に於いて、この時期には非チョコ3原則を批准しなくてはならない。則ち“持たない、作らない、持ち込まない”である。

そして、全ては所詮出来レースでしかない事も忘れてはならない。二月十三日になっても、明日こそはバレンタインチョコレートが貰えるかも知れないと淡い希望を抱く、我が非モテの同志諸君に警告したい。現代の資本主義と同様、持てるものにはさらに与えられ、持たざるものはプライドを含めた全てが奪い去られるだけなのだ。つまり、すでにチョコレートを貰える人間どもは既に「バレンタインは何が欲しい?」「お前に決まってるだろ。でも今すぐ欲しいな」などと、前日以前にチョコレートより甘い時間を過ごした後で、もはや形骸化した儀式としてチョコレートを贈与しているに過ぎないのだ。そして何も知らない僕たちは十四日をまんじりともせず過ごし、虚無につつまれた夜を迎えるのだ。

だから、私はそんな悲劇を生み出す狂気の祭りを虚飾でいろどり、美しく見せかけている商業主義に与する愚かさを世界に訴えなければならないのだ。ノーモアチョコレート!ギブミーチョコレート!

ここに記すのはバレンタイン被害者のゲハジの記録である。

中学二年も残す所あと数ヶ月、季節の齎す冷気とは関係なく、ゲハジの脳内は腐りかけの桃色だった。学校に行っている間は、自分が厳格な戒律に縛られているエホバの証人の子供である事も忘れて、日毎、同級生との脳内恋愛に耽っていた。「よし、今日は池島さんと付き合っちゃうゾ、放課後二人だけで教室に残ったシチュエーションがええな。グフフ。」などとやっていた訳だ。

そんな妄想に耽る醜い顔を常に晒していたので、当然の事、女子から見向きもされていなかったゲハジであるが、それでも今日が二月十四日であり、もし万が一にもバレンタインチョコをくれる女子が現れたならば、しなければならない証言を頭の中で反芻していた。だが、例によって妄想はあらぬ方向に向う。「宗教上の理由でもらうわけにはいかないんだ。」「それでもゲハジ君が好き」「僕と付き合うためにはJWにならなくてはいけないんだけど…」「じゃあ私、JWになる!」放課後に研究をする事になった二人。書籍の重要な聖句を示そうと伸ばしたゲハジの手が、彼女の柔らかな膨らみに思いかけず触れる。見つめあう二人。

今、心にあがった殺意をどうぞお納めください。

終業のチャイムがなった。今日も下らない白昼夢で一日を過ごしたゲハジ。嬉々として紙袋を用意しだす女子達。ゲハジの担任の教諭は男性だったのだが、クラスの大半が、まずその先生にチョコレートを手渡す。本来チョコレートを学校に持ち込むのは校則違反である。この腐敗した習慣を行なう為の色仕掛けの賄賂に違いない。その後、選ばれし者どもに黄色い声がかかり、一組、二組と教室の外へ消えていった。万に一つの期待をしていたゲハジの側には、やはり誰も寄ってこない。もう忘れよう。僕は清い民なのだ。不道徳へと繋がりかねない、この世の汚れた習慣から神が守ってくださったに違いない。

クラスに残っていたM本君と帰路を共にする事にした。M本君は小学校の時に帰り道で自ら産み落とした大便を素手で掴み、同級生に投げつける暴挙を働いて以来、同級生から一目、いや一線を曳かれている存在だった。ただ、彼はゲームに造詣が深く、テレビゲームを持っていないゲハジは、内容はよくわからないが彼の話を聞くのが好きだった。彼の話を聞いていると自分もゲームを体験しているような気になれたのだ。

M本君と別れ、自宅へと向かう路地を歩く。14歳と言えば、人生の中でも希望に満ちた時期である場合が大いに違いない。しかしゲハジの目に映っていたのは、引きずるように交互に踏み出された、薄汚れた靴と、自分の心と同じく無機質な色をした地面だった。

よし今日は11PM(イレヴンピーエム)でしこたま抜くぞ。そう決意した時だった。女の子の声が耳に入ってきた。心に警告音がなる。奉仕で同級生に見つかる事を極度に恐れるあまり、校外で同級生の声が聞こえると条件反射的に身構えてしまうのだ。また、ゲハジは周辺地域でも最もみすぼらしいアパートに住んでいたため、自分の家の所在がクラスメートに知られる事にも恐れを抱いていた。

今、ゲハジが立ってる路地から左に曲がると自分の家があるのだが、その路地の先の大通りに繋がる角を、同じ中学の制服の女子が、ちょうど曲がって行った所だった。声はそこから聞こえていたのだ。この時点でゲハジの内耳センサーは彼女たちが同じクラスの女子であることを声紋から解析していた。彼女たちは何故こんな所にいるのだ。その女子たちの家はゲハジの家から学校をはさんで全く反対方向の筈である。訝しく感じたものの、あやうく自分の家の所在があかるみにならなくて済んだ事に胸を撫で下ろしながら、家に入った。

家には母がいた。母は開拓奉仕をしていたが、子供が帰宅時に家にいる事をポリシーとしていた。もしかしたら巡回監督にそうするように言われていたのかも知れない。夕食時、母が何食わぬ顔でこう言った「今日、あなたにチョコレートを渡してくださいって二人で女の子が来たわよ。」体に衝撃が走る。「お母さん、断っておいてあげたからね。」

「母さん、母さん、どうしてだよ?チョコレートをもらう事がどうしてそんなにいけない事なの?僕が人生で初めて、もらえたかも知れないバレンタインチョコレートなのに!」と言うべきだったのかも知れない。だが、狂った僕の心に上ったのは証言をしなくて済んだという安堵と、自分の家の所在とそのみすぼらしさがクラスの女子に知られてしまった恥ずかしさだった。

こうしてゲハジは人生に於いて、唯一もらえる可能性があったバレンタインデーをふいにしたのだった。

プロローグも無いのにエピローグ

その後、ひょんな事でその同級生の女子と会う事があった。彼女はとても綺麗になっていた。あの時貰えなかったチョコレートを催促しようかと思ったが、機先を制して彼女は、近々結婚する事、お腹には子供もおり、その相手が地元では有数の企業の御曹司である事を僕に告げてくれた。僕は酷く恥じ入り、JWに育った境遇を呪い、彼女の幸せを願った。

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(※1)適当に書いてます。念のため。

2月11日若干の修正をしました。
って助詞とか間違いすぎですいません。
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セルフィッシュ 

D1000580
自画像 題:お惚けエテ吉

何故、あんなエントリを書いてしまったのだろう。己の薄汚さはヴェールに包んだままでよかったじゃないか。これ以降、どんな立派なエントリーを書こうが,でも、あンたDV野郎でしょ。で全てが終わる。「実は全て嘘なんです。本当はゲハジは心優しくて、慈愛に満ちていて、誰の事も憎まず、笑みを絶やさず。幸福でいるのですよ」と釈明したい。だが、それは真紅の嘘だ。どこまでいっても醜い。ゲハジ品質。

そもそもブログを書くことで他者とコミュニケーションしたかったのではなかったか。それがどうだ、今のお前は美しくなろうと自らの糞便のなかで転げる豚そのものではないか。

嗚呼、狂つている。

これだから、カルトやってた奴はキモイんだよな。などと評価されても仕方ない。立派に生きておられるexJWの皆さん、ごめんなさい。

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サディスティック デザイヤ 

頬が痛い。正確には頬の表皮がひりひりとしている。

今日、午後。
頭が揺れた。目の前が暗転する。ストロボのような強く走る光が見えた。体が床の上に勢いよく転げる。
頬を叩かれたのだ。掌ではあったが、鈍器で殴られたかのような衝撃だった。目の前の暗闇が、目を瞑っているせいだと言う事にしばらく気付かなかった。

突然にそれが起こった訳ではない。私は叩かれる事を知っていて歯を食いしばっていた。

それをしたのは妻である。

このような恣意的な書き方をすれば、或いはなんと酷い妻であろうと思われる御仁もあるかもしれない。

しかし、事実は異なる。先に手を出したのはゲハジなのである。これは天誅である。

その前の日、私は妻の体を拳で殴ったのだ。事の成りゆきはこうである。いや、思い出せない。何故だ。実際の体の動きは思い出せる。妻が体を突き飛ばし背中を平手で叩いたので、反射的に拳を出していたのだ。だが、その前後の口論の内容が全く思い出せない。その口論が、”JWに復帰しない旨を義母に親告すべし、さもなくば経済的援助は打ち切られる。うぬの甲斐性で生活が出来るのか。”と詰問された事から始まった事は記憶している。だが、私が暴力をふるった前後の会話の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。

私は家を飛び出し、自らの怒りを治める為に、マクドナルドで百円のコーヒー(クーポン使用)を啜った。怒りが体を漲る。犀は投げられた。もはや元の鞘に収まるのは不可能であろう。経済封鎖を理由に改心を迫るとは。許せん。

家人が寝静まった頃帰宅し、お笑い動画を閲覧し、胃から広がり、恐らくは十二指腸にも達しているであろう背部と腹部に広がる痛みを納めようとした。このような夫婦喧嘩の際にお笑い動画を見るなぞ不謹慎極まりないという論もあろうが、わたしにとってはライフラインなのである。JWにとってのライフラインがものみの塔誌であるというのと同じである。つまりさして重要ではないと言う事だ。

夜があけ、童子を送り出し、妻と二人きりになると、彼女から、もう一度やり直そうと提案される。妻はこう言う。「あなたを攻める、どんな言葉を私が発したとしても、私への愛を貫いてくれるか。それを見たかった」のだと。判っているのだ。悪いのは全て私である。JWに対する態度を明確にせず、復帰を匂わせて現役家族との曖昧な関係をだらだらと続けていた。その上、経済的にも自立しているとは言いがたく、折に着け、援助を受けている以上、如何にJWに真理が無いとは言え、私の主張に全く理も、説得力も無いのは事実である。

私も謝り、事なきを得た。ように見えた。

「殴った事は謝って」

確かに申し訳ないと思い、謝罪する。しかし妻の怒りの矛は収まるどころか更に勢い激しさを増して行く。あなたを殴らせてくれ、そうしたら許せるから。彼女はそう言った。私は了承した。何より、男が手を上げるとはどんな言い訳も通用しない非人の行いである。どのような仕打ちにも文句は言えない。しかし、私の心に余裕が無かったかと言えばそうではない。女性の平手打ちなどたかが知れている。こちとら、100発超のプラスティック製の布団たたきによる鞭も堪えて来たんだぜぃ。と訳の分らない自信のようなものも首を擡げる。

実を申せば、私が妻に手を上げたのは今回が初めてではない。3年ほど前に仕事で知り合った美しい女性について妻が誤解をし、その女性に熱を上げてるかのようないわれの無い糾弾を受けた際にも、激昂し、手を上げた事があったのだ。妻はその時の制裁を含め、今日の分と合わせ3発殴ると言う。已むを得ない。非は全て私にあるのだ。

目を瞑るように告げられる。

目を瞑った状態では、その衝撃がいつ来るかわからない為、言い知れない恐怖が私を襲う。目を開けて受けさせてくれるように足元にすがりついて哀願する。とはいえ実を言えば、ここまで殆ど、冗談交じりに笑いながらこの暴虐のコミュニケーションは行なわれていたのだった。

ファイナリー。手が振りかざされる。鉄槌。

「き…切れた。ぼくの体の中で何かが切れた…決定的な何かが…」

妻の腕は私の二倍のサイズがあり、その上、排球の経験者である。そこから生み出される膂力は私の想像をはるかに凌駕していた。

暗転する視界。部屋に響き渡る妻の哄笑。北京五輪で快挙を成し遂げた蛙王のような台詞が聞こえる。「超気持ち良い!」 妻の怒りを甘く見ていた自分が恨めしい。死が意識せられた。一瞬の意識の空白が起こったのだ。気付くと自分は床に転がっていたのだから、それは一秒の数十分の一の長さでしか無かった筈だが、私という意識が中断したのは間違いがない。その空白の時間、私は彼岸にいたのだ。恐らく、本番の死もこのようにあんがい呆気なく訪れるのだろう。床に転がりながらそんな事を考えていた。

もし、ゲハジが話しを偽り、事を大げさに言っていると感じられる御仁や、女性に打たれるのが三度の飯よりすきなお方は是非我が家でその威力を味わっていただきたい。その衝撃の凄まじさは3代目キャリーに名乗りを上げるべきかと、本人自ら宣言するほどである。

その後、残りの2発を受け、制裁は完了した。

双方がその主張を曲げたわけではない。完全に互いの意見を了承したわけでもない。だが、安いポルノ作品のように私は妻と、事の顛末を笑いながら、肩を組みながら会話したのだった。

私は、物事を良く憶えていられないという性質がある。どのような言葉による侮辱も、暴力も時の経過と共に忘れ去ってしまうのだ。それを愚かさと断じる事も可能だろう。しかし和解や平和の為にこの”忘れる”という事が役立っているような気がしている。それ故に人を傷つけてしまった事も忘れてしまうという負の面にはこの際、目を瞑ろう。愚か者め。

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またしても、くだらない文で申し訳ありません。そして、ゲハジを女性に手を上げる程は最低の人間だと思わないでいてくださった方、大変申し訳ありません。こんな最低な人間なので、JWを糾弾する舌も鈍くならざるを得ないのです。

結局、この直後、また一悶着あり、また家を飛び出したりしたゲハジですが、なんとか今は戦火は鎮まっております。明日は夫婦そろって子供の授業参加に行く予定です。

にしても後頭部に違和感が。絶対、蝶野のビンタに負けないと思います。妻の平手打ち。
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