ゲハジは別に犬死でいいじゃない。

JW追憶記

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そこに愛はあるのかい? 

どうも、小栗旬と宮川大輔の違いが判らないゲハジです。
えらそうで理想主義的なエントリから一変します。
近年稀に見る駄文です。いや今までのも全部そうなんですが、輪をかけて酷い。

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つい先日、子供のクラス面談に行った時の話になる。

面談に参加するのは初めてだった。何かしら子供の事で関われる、という漠然とした喜びのような感情を抱きながら学校へと自転車を漕いだ。落ちかかった太陽が朱く顔を染める。
中年の見窄らしい紅顔(文字通りの意味で)の男が奇妙に微笑んで、自転車を立ち乗りで猛進させていたのだから、道行く人には極めて不気味に映っただろう。

パワースライドをさせて入り口の門の側に自転車を停める三十路半ばの男。刹那、すぐ後ろから地響きのようなエキゾーストノートを鳴らしスカイラインGTRが通り過ぎ、そのまま駐車場へと滑り込む。颯爽と車の中から出て来たのは暗灰色であるのに地味ではないスーツを纏った男だった。指にはごついシルバー、メガネのフレームもシルバー。髪はウエイブを描き、ガリレオだか地井武雄兄ちゃんだか知らないが、福山某(なにがし)のような顔をしていた。
この時間に来るのだから、同級生の父親に違いない。世に云うイケメンパパという種族であろう。私とて美しい男は好むところである。出来れば仲良くしたいと思った。自分が先に門をくぐっていたので挨拶をし、門を開ける。

スルーだ。看過ではない、透過だ。見えなかったのか。聞こえなかったのか。確かに蚊の鳴くような声の挨拶だったが、確かに目の前数十センチの所を通り過ぎていったのだ。何か形而上学的な事象でも起きたのだろうか。

それにしても圧倒的な彼我の差である。トップバリューの自転車とGTR、寝間着用のトレーナーとブランドスーツ。

俺の中のたむらけんじが吠える。「いい車に乗ってる奴、全員死ね!」と。

唖然として立ち止まってしまった為、件の男より数秒遅れて教室に入る。例によって遅刻である。先生と父母の誰も一瞥だによこさない。既に重要伝達事項は伝えられ、子供の成長について歓談する段となっていた。

誰も積極的に語りだそうとしないのに業を煮やし、先生が端から順に発言するように提案をした。車座に座っていたのだが、私は7時の辺りにいた。シルバーの男は6時。私の右隣にいる。

それぞれが子育ての不安や成長の過程などを簡潔に、時にはくすぐりを交えて話していた。となりのGTRに順番が来る。予想通りというべきか、非常に淀みなく自分の子供の成長、家庭での振舞いを立て板に水の如く語っていらっしゃいやがった。周りのお母さん方も「そうなのよねー」と相槌を打つ。

「となりの方は如何ですか?」気付けば、私の番になっていた。順番が回ってくる間、考えていた内容が全て色を失い、頭の中は一面銀世界。「グ、ヴゥ」とくぐもったこの世のモノとも思えぬ、阻害音が口から漏れる。失笑に包まれる中、辛うじて、一年間、クラスでお世話になった先生への感謝だけを口にする。手を見ると、渡された資料が汗でグジャグジャになって、色は変わり果て、お世辞にも綺麗とは言えないけど状態になっていた。

そうなのだ、私はこのような場面で全く機転が利かないのだ。頭は白く、顔面は紅潮し、自分の無能さを呪う言葉が口元に上ってくる。隣にいた私の妻が小声で「あなた、自分と子供の名前も言ってなかったわよ。」30半ばになって、発言のルールすら守れない男。パニックに襲われる。周りの父兄があざ笑う声が聞こえるような気がする。ふと目を上げると、正面に座っている、スカートを穿くお母さん方の膝が皆、ゲハジの正面を避ける角度に曲がってる。「私の足ばっかり見て、まぁ気持ち悪い」幻聴が聞こえる。馬鹿野郎、誰が見るか。俺だ。

自分の不甲斐無さに打ちのめされている間に懇談は終わり、歓談が始まる。無論の事、一人佇むゲハジ。あぁこの風景はどこかで見たことがある。友人の兄弟と一緒に他の会衆の集会に行ったときの情景と同じだ。あの時も僕は一人佇んでいた。綺麗な姉妹を眼球の運動だけで探し、誰とも会話せず過ぎた集会後の時間。

出席した事への後悔と共に、学校から出る。日はすっかりと落ち、深い藍が町を染めている。自転車を漕いで、ひとり涙交じりの鼻歌を歌いながら家に帰る。あぁこれも集会後の風景と同じだ。

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なんだこれ。
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stink dis? 

一連の流れを嫁に話したら、「一番醜いのは、お世話になった人とはいえ、言いたい事をしっかり言えないうぬであろう」とのお言葉を頂きました。確かにその通りであると思います。良識だと自分が思った意見を書いて、心優しい人たちからの親切なコメントを頂いて、アクセスが増えて、悦に入ってる。

でもね。やはり心にあるのはこんな気持ちなのです。

mr.children "タガタメ"より

引用

左の人 右の人
ふとした場所で繋がってるから
片一方を裁けないよな
僕らは連鎖する生き物だよ

戦って 戦って
誰が為 戦って
戦って 誰 勝った?
誰が為だ 誰が為だ
誰が為 戦った?



引用おしまい



殴りあった手で握手はできるのでしょうか。
できる。と思いたい。
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あべこうじが好き。 

どうも、エリカ様より渡辺直美の方がどうしても綺麗に見えるゲハジです。

そう。若干うざいの。

先日、夜勤明けで寝てたんです。眠りについて1時間もしなかった時でした。嫁が部屋に入ってきて「ごめんちょっと」とか言うんです。意識はまだ眠りの中ですから、「ぅぇえ?」とかいったと思います。嫁の言葉もよく聞こえなかったんですが、「…に浣腸して欲しいんだけど」って言われました。むちゃくちゃ眠い時になんだよーさすがにたたないよ。とか思ったんですけど、どうやら違うみたいでした。

その日、嫁はママ友と食事に行ってたのですが、ママ友の子供が便秘で困ってると言う話が出たようでして。それで、その子供に浣腸をして欲しいって事だったんです。

ほら、ゲハジってエイナルには一家言あるじゃないですか。その道では有名じゃないですか。その事を嫁が友達に吹聴していたようなんですよね。すごく眠くてしょうがなかったんですけど、腕を買われて頼まれたんじゃしょうがありません。

依頼が来て、イヤイヤながらも結局、難手術を成功させるブラックジャックみたいな心境で、子供が待つ部屋に行きました。

っ。男の子か…。

本来、私は女性しか受け持たないアナル師なのですが、依頼を受けてしまった以上、後には引けません。

お母さんはすがるような目を私に向けます。「娘よ、安心しなさい。貴女の子供は救われた」とか黄色い本に出てくるセリフを言おうかと思いましたが、一般の方なので控えます。

手を滅菌し、助手ピノコ(嫁)に術具を渡すよう指示します。

「綿棒」

「あらまんちゅ」

関係ないですが、ゲハジの理想の女性はピノコだったりします。どうでもいい。

オイルを染み込ませた綿棒をゆるりと挿入していきます。そして徐々に動かし、腸の蠕動を促していきます。加藤鷹の指、或いはイジリー岡田の舌が乗り移ったかのような滑らかな動きです。

術式開始から10分経ちましたが、何も起こりません。このままではエイナル師としての名に泥がついてしまう。功名心から焦るブラックジャック。いやゲハジ。

その時、肛門が反応したのです。少しづつ顔を覗かせる緑色の物体。「悪霊よ、幼子の体から出なさい」とか言いたかった。だが、ほんの少量しか出てきません。綿棒を交換しさらに刺激する事さらに5分。子供の足を支えるゲハジの手が、夢をかなえるゾウにあたりますが、気にしていられません。ゾウが黄金水をかけて来ますが気にしません。

すると、堰を切ったように緑色の悪魔がしとどに溢れだしました。

「術式完了。」

お母さんは大変感謝されて帰っていかれました。

その後、「やっぱり男の子はやりたくなかったなぁ」と正直な感想を言ったら、「このど変態が!」と怒られました。

愛ちてゆと言ってくれ。
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palm sweating 

だから、僕が望んでいるのは、せっかく根拠の無い、支配から自由になったのだから、誰もが自由に自分の意見を述べる事が出来て、それが尊重しあえるそんな状況なんですが、それも夢想に過ぎないと一笑に付されるのかな。

mr.children "掌"の一説にあるような。

引用

ひとつにならなくていいよ
認め合う事が出来ればさ

キスしながら唾を吐いて
舐めるつもりが噛み付いて
着せるつもりが引き裂いて
また愛もとめる

ひとつにならなくていいよ
認め合えばそれでいいよ
それだけが僕らの前の暗闇を
優しく 散らして 
光を 降らして
与えてくれる



引用終わり




ゲハジがミスチル引用とかキモイという方には大変申し訳ない。
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too close to love. 

くどいなと自分でも思うのですが、先回の続きです。

wisdomさんの意見、反論の一つ一つはそれ自体に間違った事は含まれていないと思えます。そして、今まで書かれてきた記事も、僕が読んだ範囲では、そこまで、常識を逸脱した内容は見たことがありません。宗教や人に凄く関心があって、善人であろうと努力されている方と言う印象でした。その方が何故、「あんた大勢から嫌われてるよ」と言うような事を言われなくてはならないのか。今回の事があるまで大変不思議でした。

これは、りなさんがすでに指摘されておられるように、距離感の問題だと思いました。

例えは、すごくいい香水。これ良い匂いでしょって、少量を適度な距離で嗅がされれば、ほのかに香ってくれて良い気持ちになれますが、鼻に直接噴霧されたら「くさっつ」ってなるのと同じでしょうか。

アロマオイルも適量なら、リラクゼーション効果が生まれたりしますが、精油をそのまま体に付けたりしたらアレルジーを起こしたりしてしまうのと同じでしょうか。

なんか違いますね。

あれです。北風と太陽はどうでしょうか。太陽のように暖かな気持ちで人に影響を与えるのは良いことなんですが、太陽が近すぎたら「アツっつ」。てなってしまう事とか。

うまく言えませんが、そういう距離的なものに対して、多くの方が違和感を持たれたのかなと想像しました。

これはwisdomさんお一人の話ではなく、もちろん私を含め、宗教をされてる人の類型の一つかな、と考えます。宗教をされてる方というのは人類の事とか地球の事とかを考えておられる故に、人類みな兄弟的な思想が多いですから、誰でも知り合った人には愛を示したいと感じるかもしれません。で、その愛には、普遍的に良いとされる行動規範みたいなのが含まれてて、こうしたら幸せになれるという知識を人に教えてあげたいという言動につながりやすい。

でも、多くの人は、行動規範や倫理的決定などに関して自分で考えて決めたいと思ってるんではないでしょうか。私のような盆暗は、そういう事を教えてくれる人に対して「マジっすか。あざーす!」となるんですが、多くの人はそういう事は自分や家族で決める事で、あまりゆかりの無い人に言われたくない。となるような気がします。

wisdomさんが暴言の理由を推測して、相手に伝えるまではwisdomさんの分で、でも、その先の許すか許さないかと言うのは、もう完全に当事者の方の分なので、「許してあげてください、痛みを見てあげて下さい」となると、多くの方が「距離近っつ!」と感じられるのではないでしょうか。

でも、結局、wisdomさんがご自身の愛に基づいてそうされるのは自由なんですよね。で、それに対して怒りを覚えるのも自由。じゃぁ俺はいったい何を書いてるんだろう。

あ、だから、wisdomさんが、怒ってる方に対して本当に講和を望んでいらっしゃるなら、今回怒ってしまっている人の感情を逆なでするのは逆効果、というか、なんか、愛を求めての行動が本末転倒になってしまっている様に見えるのが残念なのかもしれません。

もし、聖書で説かれている愛のような事を実践するのであれば、「でも、私は悪気は無いんです」というニュアンスの言葉を仮に正しいとしても使ってしまうと、いつまでたっても和は訪れないかもしれません。

何かwisdomさんに対しての一方的な記事になってしまってますね。

というのは前の記事でも書きましたが、僕もこの点が夫婦に於いて挑戦となっているからです。(←JW用語でしょうか。)ですので、人事だと思えずにいます。
ですが、夫婦は基本的には和解しなければ、悪影響が罪の無い子供に及ぶので、どんな犠牲を払っても和を図るべきだと思いますが、web上での価値観の軋轢は大人同士の問題ですから、当然、wisdomさんが一方的に謝る義務は無いと思います。解決を望まない選択肢だってアリだと思います。

なんといいますか、怒りを覚えている相手に対して、釈明しつつ許してもらうのは難しいのでしょうね。いや、でも仲直りしたいが故に釈明したい気持ちも凄く理解できるんですけどね。

webにはルールは無くていいけど、人の心の交流にはある程度の常識とされる、守るべきルールがあるのかも知れません。ゲハジ自身それが何なのかよく解っていないのですが。

まとまってなくて本当にすいません。

いずれにせよ、ゲハジはwisdomさんの宗教や哲学の豊富な知識に基づく記事をこれからも楽しみにしてます。


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追記:

wisdomさんが”宗教がお好きな事、研究生としてJWに関わっておられる点”を非難する向きもあるように感じているのですが、私はそれはちょっと違うなと思っております。もしかすると読み違えている可能性もあるのですが、この宗教に関わった人は、研究生だった時期がある訳で、何ゆえその点を非難できるのか解らないでいます。JWの良く見える部分に惹かれたのは誰しも一緒じゃないのかな。なんて。
人の心の問題にヅカヅカ入って来るのは一部の現役の方、組織で権力を持っている方の十八番、常套ではないのでしょうか。脱JW出来た方は、まったくそうした事を行なって来なかった自負があるのでしょうか。生活の全てをJWに捧げて苦労した経験がないから駄目なのでしょうか。もし経験の差が問題なら、1世の方は、ムチに関して何も発言すべきでは無いという意見もありとなったりしてしまうような。僕はそう思えません。でも、かくいう私も自分より裕福だったり、大学に行けたり、楽をしているように見える年代の違うJWには嫉妬していますが、それは声高に言えるほどカッコの良いものではないような気がします。

oops! I lost myself

ぁあ、なんか足元から焦げ臭い匂いがするような感覚がします。

そして、もし私のような性格の悪い現役がいたら、こういうネットの状況をほくそ笑んでしまうような気がします。ハハ、背教者同士いがみ合ってるよ。と。それもまた悔しいような。
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sacrifice for freedom 

wisdomさんとばうちんさんの書かれている記事を見て思ったことを書こうと思います。本当は当時者しかわからない情報もあるでしょうし、私のような下衆が何か言うべきでは無いと思いますが、私も少なからず関係する方の感情を害するような記事を書いたと思いますし、お二人に直接お会いさせていた事もあるので、私の感じた所を書こうと思います。また、例によって物凄い手汗を掻きながら打っております。キーボードが光ってきました。

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その前に、ゲハジがこれまでしてきた、夫婦喧嘩の原因の一つをお話します。

それは、嫁が会衆内の姉妹から嫌な仕打ち(嘲られた)をされたと私に泣きついて来た時の私の反応が許せないというものです。

私の反応はこうでした。「聞き間違いじゃないの?姉妹が悪い動機で意地悪な言動をするわけない。許さなきゃ駄目だ」

当時は、妻の怒りが理解できませんでした。JWが悪い動機で行動するなど信じられなかったのです。そして妻は「私を信じないの」と怒り、悲しみました。

この事による夫婦喧嘩は昨年まで何度繰り返されたかわかりません。私が当時の事実関係にこだわり続けると、時に半狂乱になりながら、妻は「事実がどうあろうとあなたが味方すべきなのは私でしょ」と訴え続けたのです。

ばうちんさんが書かれた記事を読んで上記のような事を思い出しました。もしかしたら違うかもしれないですが、内容の如何に関わらず、奥さんの為にしっかり語るべき言葉を持っているばうちんさんを尊敬します。

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まず、wisdomさんの記事ですが、僕は根底には善意があると信じたいなとの気持ちで読みました。本当はその暴言を吐いた方と、研究生の方、双方に対して平和が訪れる事を願っておられたのではないか。そうであって欲しい。と思いました。言葉というのは不思議な物で、丁寧に書いても慇懃無礼に書いても字面は同じになる場合があると思います。もしかすると、真意を読み取れないのは私のような莫迦だけなのかもしれません。

wisdomさんの該当記事も、丁寧な言葉で書かれているのですが、見方によっては晒しアゲのように見えなくもありません。何故か。ちょっ内容に齟齬があるように見えるのです。wisdomさんは連絡が取れないから今回の記事を書かれたと書いておられますが、アメンバでなくとも、プチメを送る事は可能です。もしかしたら、プチメを拒否されていた可能性もありますが。その事は書かれておられません。

アメンバ切りや自分がプチメを送って無視されたことなどを書くのは、僕はweb上の行為としてはアリだと思います。webというのはある意味無法ですし、だれもが思ったことを書くことの出来る所が良いのだと思っています。話がずれますが、麻薬合法化を叫ぶこんなページだって存在していいのです。

ただ、そうした事は仲良くしたい人や友人であろうとする人に対してはしない方がいいのではと考えます。アメンバにまつわるアレコレというのは原則、当人同士しか知りえない情報ですので、それを公開して欲しくないと考える人がいる事は想定するべきでしょう。それでも、敢えてするとしたら敵意の表明と受け取られる事を想定して行なうという事になるかもしれません。

過去の事例については、想像の域を越えられない可能性があるので言及を控えます。

ばうちんさんのwisdomさんのお子さんや子育てに関する発言はちょっとショッキングでありましたが、「「人の心にづかづか入り込むってのはこういう事だぞ」というのを身をもって知らせる意図で敢えてされたのかなと思いました。でも、なんか心が痛いです。子育てというのは多分誰もが、必死に行なっているものだからです。いや、だからこそ、その痛みを知れってことなんだと思うのですが。ばうちんさんはこんな事を言わなければならないくらい、それくらいご家族が痛い思いをした事を思いやっておられるたのでしょう。

ただ、wisdomさんが今回の事で多くのexJW関係者に疎まれようと、JWに関するブログを続けていくのは自由だと思います。このあたり、ばうちんさん本人が言われているように感情ゆえの発言だと思いますが、ばうちんさんがそういう発言をするのも自由だし、wisdomさんがJWについて情報を発信するのも自由だと思います。読み手には読まない自由があります。

ですが、自由故に、失礼が生じると、友好関係は壊れるという危険を承知しなければならないのが大前提でありますが。

最後に、本当に余計なお世話ですが、正直な気持ちを述べると、やはりお二人を肉眼で見てる自分としては問題が何がしかの形で解決して欲しいと思ってしまいます。しかし、理解し得ない関係と言うのも世の中には存在するのも事実です。お互いに無理する必要は無いと思います。ただ、ばうちんさんの言も、wisdomさんに伝える物があったからこそだと思います。本当に何も期待しないなら無視するのが、web上では一番効率的ですから。

などと書いてきましたが、まさに僕こそ、ブログ書く前にやるべき事があります。先に述べた妻の感情は未だ完全には癒えておりません。その姉妹を呪わせず、妻を癒す方法を未だ模索中であります。

妻は私に真剣に謝って欲しいと言います。

僕は、自分も悪意でやってないので真剣に謝れないと言います。
時に、もっと寛容になって欲しいとさえ思います。

妻は僕が、今、愛する事では癒されないと言います。

「呪ったっていいんだよ」という言葉が出せないでいるのかも知れません。

それは善行を強要するJWの呪縛から僕自身が抜け出れていない証拠であるかもしれません。

こんな事、普通の人はすぐ解決できるのでしょう。

確かに自分の事を考えると、宗教に絡んでる人間はおかしいというのは事実であるようです。
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hate song 

あいのりとか言う番組が終了するらしい。大変結構な事である。何やら、ピンク色のワゴンに男女が乗り込みorgy styleでgangbangする不道徳極まりない内容を10年間も垂れ流していたとの事だ。私のような恋愛不能者にとっては大歓迎である。

って批判系ブログを攻撃するような現役さんのような言葉ですいません。

男女のあれやこれやって苦手であります。へぃ。正真正銘、僻みでありんすよ。だから恋愛映画とか正視に堪えない。暴力やら犯罪やら猟奇やらそんな映画しか見ないのであります。だから駄目なんだ己は。

という訳で、今年は少しまともな人間に近づくべく恋愛映画も見るぞっと。レンタルだろうけど。

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mr.childrenの「風と星とメビウスの輪」にはまってます。
アルバムの大仰なアレンジよりカップリングの方が好きであります。幸せとか愛とかの連鎖をうまい事、仰ってますよね。

でも、やはりスタートは親の愛の場合もあるのかなと感じます。親が、無条件に愛する事で人はメビウスの輪のような愛の連鎖の中で生きれるのではないかと。そうなりやすいのではないかと。そして、親もまたいつしかメビウスの輪の裏だか表だかわからない所を歩けるのかもしれない。そう思いたいです。

という訳で歌ってみました。



もちろんです。youtubeから拾って来ただけです。せめてこの位は歌えるようになりたいものです。
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遅ればせながら映画『ダークナイト』(The Dark Knight)をレンタルDVDで鑑賞。

大抵期待の大きい作品は満足度が反比例するものだが、今回は例外。クリストファーノーランにしてやられた。プロット、映像、テンポその全てが素晴らしい。

犯罪のはびこる街ゴッサム。人々はバットマンに一縷の望みを托していた。一方暴力に寄らず、正義を遂行としようとする、検事ハービーデント。バットマンことブルースはハービーこそ街を救うヒーローとなるべきだと考える。だが、悪の権化ジョーカーは正義をあざわらうように市民を人質にバットマンとハービーを陥れるべく動き出し、ブルースが(ハービーも)愛するレイチェルにその毒牙を向ける。バットマンは彼女を救えるのか。

悪を描いた最高傑作と評される今作。究極の悪とは何かが見事に描かれている。と言いたい所だが、本当の悪はレイチェルのような気がしてならないゲハジである。大して美人でもないのに、二人の誠実な美しい男性の愛を弄ぶあの女こそ絶対の悪に違いない。

冗談はさておき、悪とはなんぞやという問いを抱える私にとってジョーカーの示す悪は非常にナチュラルに受け取れるものであった。絶対的な悪とは何にも支配されないという状況でしか存在し得ないのだ。ジョーカーは自らの死も、金銭に対する欲望も、ましてやモラルのどれにも支配を受けない。そして絶対的な悪は孤独でもある。登場シーンで仲間?を躊躇せず消していくジョーカー。これこそ悪だ。悪の華だ。lonly days。絶対的な力は妖しい魅力がある。保身を考えるマフィアや市長より美しく見えるのは間違っているだろうか。間違っている。

悪とは多数決の問題でしかないのかも知れない。或いは価値観の彼我の高低差に生じる流れのようなものなのかもしれない。ジョーカーの行為もジョーカー自身にとっては悪にはなり得ない。ジョーカーと同じ価値観を持つものがいるならば、その物にとって彼の行為は悪とならない。聖書で言う所のサタンの行動ですら、サタン界においては善行にしかなりえない。だから人類は共通の価値観を持ち、人類みな家族や兄弟となればそこに悪は存在しづらくなるかもしれない。それもあまり気持ちの良い発想ではない。意味が分からない。

また、この映画のプロットでは善なる者が容易に悪に転落しやすいかも描いている。別の言い方をするならば、人間の寄って立つモラルの根拠の浅薄さが描出されているのだ。

とは言え、人間の持つ善なる力もささやかに描かれる。ジョーカーによって、囚人と一般人が互いを殺す事の出来る起爆装置を与えられるが、お互いにそれを放棄する。この部分は私には唯一リアリティが感じられない場面だった。

幼い頃の私ならこの映画を見て、病院爆発で亡くなった人やカーチェイスで巻き添えなった人に思いを致したのだろうが、もはや爆破シーンの妙に関心するばかりで何の感慨も抱かなくなっている自分を淋しく感じた。

御粗末。
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I guess. 

みんなで考えれば答えは出せる!等と大きく書いた段ボールを掲げ、大して巧くもない絵と、せんだ某(なにがし)の真似のやうなポジティブメッセージを書くパフォーマーを町で見た。反吐がでそうだった。

彼の若さ溢れる才能に嫉妬した訳では決してない。断じてない。

普遍的な真理や、所謂"答え"など存在しないか、或いは到達し得ないのは明白であるように思える。

それらを裏付けるのは人類が積み重ねてきた死屍累々と数多の苦悩の歴史である。罪もない子供の死に答えなどあるか。

遍く全ての哲学的思索に対する答えなど存在しない。人が与えられた知力を振り絞り、ただそれを創るのである。

答えは在るのではない。創るのに違いないのです。

賢明な人は無自覚にせよ、人生の早い段階でそれを作り終え、それよりは生きることに疑いを抱かず、或いは幸福に生涯を全うする。

結局、最も愚かなのは人生の意味などを考えているフリをして、その実、何も行動しない。つまり、自分は如何様にして生きるかという最終的な問いに対する答えを造る事が出来ないでいる僕のような人間である。

それは山に登るのに道を選択する事に気をとられ、挙げ句、日が暮れてしまった人のような愚かさである。

いや、この喩えは僕らしくなかった。言い直させてくれたまへ。
世界には数多のおっぱいがあるからと言って、どれか一つ(二房)を選びきれず、結局一つも揉まずにいるほど愚かだと言えよう。

最も幸福なのは、これが私の唯一のおっぱいだと確信し、手の動く限り揉みしだく事である。

決して幾つものおっぱいを取っ替え引っ替え揉みしだく事では決してない。断じてない。

いや、やはりそうなのだろうか。

幸福とは快楽の延長線にしか存在しないのか。崇高な人類愛も快楽に過ぎないのか。

僕は今日も答えを造れずにいる。

冒頭のパフォーマーも、そのパフォーマンスが彼自身の見つけた答えであるならば、他人が、とりもなおさずゲハジのような下衆が批判出来るものではないのは自明であろう。

少なくとも、満員電車でこのような戯れ言を記述し、隣に立つ女人に睨みつけられるような人間になってはならないのは紛う事なき真理です。
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thats the way i am. 

自分の中で鳴り響く声を打ち消す為にこんな歌を聴く。

友川かずき”生きてるって言ってみろ”



昔、NHKでギターの弦二本くらい切りながら歌いきったパフォーマンスをやっててその動画を見つけたかったのだが見つからず。

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サダゲハジ 

ちょっと遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます!
去る年も充実してましたが、今年はもっと充実した一年にしていきたいななんて思ってるゲハジでーす!

等と書こうかと思っておりましたが、それは嘘というもの。
やりがいの無い仕事。先行きの見えない経済的苦境。JW親族問題。その全てにチョークアップされそうな年明けを過ごしてるのが、嘘偽りのないゲハジの姿であります。

このPVのような心境かもしれません。
radiohead "no surprises"


勿論、大変おめでたいお正月に、このようなネガティヴな文章によるパフォーマンスなど人を不快にする物である以外の何者でもない事は承知しているのであります。恐らくはこの手の表現というのは他の人を不快にしてしまうものの、自分の中の悪魔憑きを落とす為に有効な手段であるかもしれないとも思います。

JWブログ界隈を眺めますと、二極化が進んでいるように感ぜられてなりません。JWを止めて人生を謳歌する人々。かたやJWを離れてなお一層鬱々とした生活を送る人々。圧倒的に前者が多いかもしれません。それ自体を批判する物ではありません。幸せな人生は他の人を幸福にします。本来脱JWはそうあるべきでありましょう。だがしかし、悲しいかな後者のような人間も存在するのが冷厳たる事実です。

不幸な人間の本分とは何か。不幸なんて存在しない。気の持ちようだと泣きながら笑い飛ばす事も確かに大事かもしれません。でもそれだけではないと僕は思います。不幸である事を、人に笑われようとも嫌われようとも人に伝えていく事にも何がしかの意味が、価値があるのではないでしょうか。

いややはり無いような気もします。

晴天が続いています。空に浮かぶ雲があります。後ろから傾きかけた太陽が射し、光に縁取られたそれの美しさに見とれていると、人生について幸せについて考えるものですね。やはりゲハジは残念だけれど大切な所で道を間違えたようですね。と髪の毛がダスキンモップの線維のようになったフォークシンガーのような事を思ったりもします。

人生はタイトロープだから。

人は何か幸福を見つけたら、それから目を逸らしたらいけないんだと思います。それから目を逸らさなければ、少なくともその本人は幸せなはずです。JWから抜けたとしたら、それはロープを飛び移る曲芸並みに大変な事をしたのだから、もう他のロープに目うつりしてる場合じゃない。さもないと落ちるぞ!

だから僕は妻の乳房を見続けたい、もみ続けたい。と思う。

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新年早々不安定な文章で申し訳ありません。わざとらしい、出来損ないの散文詩のような感じがかなりキモイです。
しかも下ネタは使わないと心に決めていたのに最後は我慢が出来ない格好になりました。

あれです。M-1ではドンズベリしてしまったザ・パンチのような突っ込みをお待ちしております。まぁ06年あたりのとろサーモン村田のようなシカト突込み?が必至でありましょう。

この記事を書くのにさだまさしの歌詞さがしてたら、すごいまとめサイトを見つけました。
さだまさし全曲歌詞集
http://www.cai-insect.jp/sada/
やっぱりいいですね。

僕が目指すのはくまだまさしだけれども。
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