ゲハジは別に犬死でいいじゃない。

JW追憶記

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ゲハジ、オフ会に行く 3次会編 

dagonさんが3次会も行こうよと、誘ってくださったので、大蔵大臣に「このゲハジ、ここ半年余に於いて、飲み会なるものに参加する機会はございませんでした。突然のお願いで誠に恐縮ではありますが、何とぞ御理解を賜るようお願い申し上げます」とお伺いをたてたところ、許可が降り、参加と相成ったゲハジ。

急遽の参加で幹事のとしきさんにも御迷惑をお掛けしてしまった事をお詫びします。

さて、3次会はカラオケである。カラオケがいわば3度の飯より好きと言っても過言ではないゲハジ。オフ会の前の週にも妻と行ってきたばかりである。今日も喉の調子は万全だ。ここで2次会において鼻毛と下ネタで失墜したゲハジの名を挽回しなければ。もしかしたらゲハジの歌声に痺れて、もろんと「おっぱいを揉んで下さい」などと酔いにまかせて言って来る女性もいるやも知れない。「シニョリータ、わたしは人生で二つのおっぱいしか揉まない事に決めたのですよ。その二つの膨らみをどうぞお納め下さい」とか言わなければならないかも知れない。グフフ。

そんなゲハジの下劣な妄想をよそに3次会はゆるやかにスタート。

もちろん、先陣を切るような剛毅な真似はできず、薄汚く様子をうかがっていたのだが、やはり、私の自説は間違っていなかった。exJWの方たちは総じて歌が上手いのだ。特に女性人の上手さは圧巻である。普通にカラオケに行ってこんなに歌の上手い女性が揃う事など決して無い。断言できるほど女性とカラオケに行った事はないのだが。

私も負けては折れぬ。皆に歌が上手いと褒めてもらうのだ。いや正直に言えば、「ゲハジさんてキモイけど歌はマシね」ぐらいでいいです。何を歌うがいいか。お笑いソングで行くか。いや、お笑いは顔だけで十分だ。

うむ。やはりミスチルであろう。なんかこの間テレビでミスチルの歌を聴くと女性は泣けちゃうとか言っていた。

大きな誤りを犯したゲハジ。ミスチルの歌を聴いて泣くのと、カラオケで歌われるのでは正反対の効果を生む事に気付けなかった。いや気付いていたが、悲劇を止めようと囁く、心の天使を撲殺してしまったのかも知れない。

まだ、あまり皆が積極的に歌を入れておらず、すぐに順番が来る。さあ聞き惚れるがいい。渾身の歌を。ゲハジさんで「GIFT」

厚顔無恥とはまさに、この事であっただろう。

1番のヴァースで既に声が嗄れる。音程も滅茶苦茶だが、気にしない。何しろミスチルなのだ、それだけで感涙にむせいでるに違いないのだ。からくも1番のサビを乗り越え、間奏になる。極度の緊張によって狭窄してモニターしか見えていなかった視野が急に開けた。皆の表情が目に入る。

そうだね。ひいてるね。

妻から常日頃「お前にミスチルは無理」と言われていた事が思い出された。
だが、既に時遅しである。演奏中止ボタンに喉から手が出掛かったが、まだ序盤。空気が悪くなる事を恐れて1番で切る事が出来なかった。

2番はさらに輪をかけたような惨劇が繰り広げられた、ピッチ、リズム共にガタガタ。Cメロなんてニワトリの断末魔のようだった。

自信満々で歌い始めたのに終わってみればどん引き状態という、まさに高橋真麻状態。泣きたくなった。「いやぁ、shureのマイマイクじゃないと調子が出なくてネ」とか言い訳しそうになったが、流石にこれ以上空気を悪くするのは憚れたので、言葉をのみ込んだ。

こんな調子で2曲、3曲、4曲と歌っていくゲハジ。もういい。よくやったゲハジ。自分で自分にタオルを投げてやりたい気分だった。
しかし、このままじゃ終われない。
オッチャン。俺やるよ。
ホセに一矢報いてやるんだ。

何かないか、心に響く歌は。

ゲハジは歌った。B'z「あいかわらずな僕ら」

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
今まで好きな事もしたし
たまに我慢もしてきた
あいつは駄目だなんてキミ勝手に
決めないで余計なお世話だよ

どこに行ってもいい
道なんて幾らでもある。

立てなくなるほど考え込むより
行こうよ、行こうよ、自分を叫ぼう

元気なうちに やりたいこと 見つけだしたいよ
大好きなひとに 会いたいときに 会えればいいのにな
気がすむまでケンカして仲直りしたいよ
やりたいように やりたいこと できればいいのにな

いつでも正しい人なんているのかな
まあ そんなこと たいした問題じゃないネ
行こうよ行こうよ あいかわらずなボクら

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

いいじゃない!ブログとかでも諍いがあったりするけど、exJWとして出会った僕らを歌ってるじゃないか。時刻は朝4時。皆、疲れからかゲハジの歌のせいなのか、能面のような表情をしていたけど、きっと心では感動してくれてるに違いない。何だか今日はいけそうな気がするー!

気分は上々だ。

痛すぎるゲハジ。

そして、3次会も終盤が近づいていた。

この時、このカラオケルームには3次会冒頭からたった今まで、頭を垂れてずっと寝ていた若き男性がいた。2次会でお酒を飲んだせいで気分が悪いのかと思って心配していたのだが、隣には美しき伴侶が優しく付き添われておられたので、私が近づくまでも無いと静観していた。いや嫉妬していた。その彼が最終局面で突然動きを見せたのだ。

鮮やかな手さばきでリモコンに番号を入力。

歌は、日本の超人気実力派グループの歌だった。
総毛だつというのはこういう事を言うのだろう。圧巻である。本人よりかっこいい。抱いて下さい。恐らくあの歌を聴いていた女性は皆(自粛

持って行かれた。あいかわらずなボクらでいい気になっていたゲハジが完全に消し飛んだ。

…燃えたよ。真っ白に…燃え尽きた。

葉子はいるかい。…このマイク…もらってくれ。

無論、葉子さんのように微笑んでくれる人などいる筈も無く、ホセに敗れたジョーのようにさわやかな気持ちで、ゲハジはカラオケルームを後にしたのだった。

--
本当は個々の方の歌にもっと言及したかったのですが、諸般の事情により、割愛させていただきます。ただ、dagonさんのカラオケスキルは半端ねぇ。それだけ言っておきます。

その後、もう少し話をする人はファミレスに行こうという話になったのですが、近くにファミレスが無く、そこで解散となりました。

本当に本当に楽しい時間をすごさせていただきました。改めて、主催のとしきさん、開催に携わられた方、参加された方皆さんに感謝いたします。
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窮して鈍。 

私は単純な男である。いや単鈍かも知れない。

わたしを笑わそうとするなら、性器の呼称を幾つか口にすればよいし。

わたしを喜ばそうとするなら、カプリコの一本でも買ってくれば事足りる。

私を怒らせようとするなら、いわれの無い悪口をすればよい。

私を泣かせようするなら、母子を描いた映画を見せればそれでよいのだ。


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白い巨乳 

私の現在を脈略無く語る事を、お許し願いたい。

もはや、幸福と言う名のステージに這い上がる事は出来ないのではないか。
客観的に今の自分を見れば、それが、自分が経済的に困窮している。そのたった一因により、家族との軋轢やその他、問題解決の為の糸口を探す手段すら手に出来ないでいる事は理解している。それに付随する形でJWに起因する問題も顕在化して来た。本来であれば、一念発起して良い仕事を探し、全てを解決する為に行動すべきであろう。

しかし、行動を起こす事が出来ないでいる。
無能。その二文字が私を表す最も正しい文字の一つである事は間違いが無い。そしてその言葉は鼓動する我が心臓に小さく渦巻いていたが、やがて膨張し、全身に広がり、体を突き破らんばかりになっている。

気がつくと、祈っていた。

頭を垂れ、手を組む自分がいる。いやその姿が心に見える。言葉は無い。

祈りによってしか救われない人間もいるのではないか。

それは努力を惜しんで自らを欺く、詭弁でしかないのか。



脱JW者でありながら、再び存在しない神に祈りを捧げるような精神状態に陥っている事を

心より 恥る。
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エロリストのパラソル 

言葉には霊が宿る。
卑俗な意味にあらず、これは真実のように思われる。言葉をイメエヂし、紙に書く、或いはディスプレーに浮かび上がらせる。すると其れはやおら力を帯び私に働きかけてくるのだ。

ゲハジなるものと、其れが語るを私が蒙昧なる意識の元に言葉にすれば、其れが私に語りかけ、私の意識の一部になろうとするのだ。

本来、私はエロスなどにおおよそ興味を持たないことを密かな誇りにしているのであるが、ゲハジというキャラクタアを介在させて、エロスを語るとどうだろう、俄かに私自身の中にエロティシズムを好む部分が形成されるのだ。そして事あるごとに頭の中に「おっぱい」と言う語が浮遊し始め、食事の後、お椀を洗っていれば、その背面が乳に見えてくるし、喉を潤した後、ペットボトルを眺めていれば、ロケット型のそれを想起するようになり、脳内をエロスなる言葉が埋め尽くし始め、フィードバック回路のように、ターボチャージャーのように勢いを増し、制御不能となるのだ。そして挙句の果てに肘を曲げ、そこに乳の谷間を見るようになるのである。

今の話の前半部分は正直さに欠ける喩えであった。容赦を願いたい。

私が言いたいのは別のことである。

実はこうした事柄は無意識下で起こる制御不能の事象ではない。相当程度、意識によってコントロールする事ができるのである。

そうであるならば、心に”良いこと”を常に上らせていれば、それはとりもなおさずその人の中の良い部分が高められ、徳の高い人となる事も可能なのである。(フィリピ人への手紙4:6-8)

JWの問題は良いことと称して、人を裁く事や、自分の利益などを祈りや黙想によって言葉にするため、問題のある性格の持ち主が増えるのかもしれない。

目覚まし時計のベルの突起が乳首に見えるような人間にそんな事を言う資格はない。

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でも、この写真は確信犯だろ。
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ゲハジの上塗り 

皆さんは”歌”がお好きでしょうか?
言うまでも無く、歌は言葉に単に音程とリズムをつけたものではありません。”歌”は感情や思いを増幅し、人と人の思いや感情を同調させ鼓舞する事ができるのです。

先日の、地域大会の最後に212番の歌を歌った時、そのように感じられたのではないでしょうか。私たちはあの歌によってエホバに教えられた喜びや一致した民の中にいることの喜びを感じ、大勢の仲間があたかも一つになって神を賛美しているような晴れやかな気持ちになったのではないでしょうか。

このように”歌”は人間に与えられた神からの賜物であります。
そして、それは古代の神の民にも与えられていました。
その一つが”詩篇”であります。

この詩篇の歌とはどのようなものだったのでしょうか。共に調べてまいりましょう。

~中略~

今まで考慮してきましたように、詩篇とは150編の各々が神への賛美と公の崇拝に用いられる聖歌であると言えます。

それは!エホバへの賛美の歌です。しかしそれだけでなく、神に対する、憐れみや助けを求める祈願、信頼や確信の表現をも含んでいます。そして、随所で感謝や歓喜、大いなる喜び、そうです!最高の喜びを言い表しています。また、歴史の要約の形をとりながら、エホバの愛ある親切やその大いなるみ業に思いを馳せるものもあります。さらに、予言がいたるところに織り込まれており、その中には既に驚くべき成就をみたものも少なくありません。加えて、有益で人を築き上げる教訓がふんだんに盛り込まれており、そのすべてに聞くものの心を動かす、格調高い言葉と巧みな比喩表現が用いられています。

このように詩篇は、美しく調理され、食欲をそそる仕方で私たちの前に並べられた霊的な御馳走です。

では、私たちはこの書をどのように読み進める事が出来るでしょうか?

イエスは苦しみの杭につけられる直前の食事のさいに詩篇の113篇から118編を歌われました。
それはユダヤ人の習慣でしたが、イエスがこれを単なる慣習として歌われのではない事は明らかです。
(詩篇118、4、5節を読む)
確かにイエスは心を込め、この詩篇を歌われたに違いありません。
それで、私たちも、イエスがされたように自分の神への熱烈なる思いを込めて、この詩篇を読むことに致しましょう。そうする時、この古代に記された神への賛美に和する事になり、現代に於いて、神をより良い仕方で賛美することが出来るでしょう。


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なんか部屋を整理していたら、こんな割り当ての紙が出てきました。
後半なんか完全にイってますね。いや全部か。
にしても論理もへったくれもない文で恥ずかしいなぁ。霊的な御馳走云々なんてなんの脈略もなく飛び出てきてるし。しかもコレを下向いて、どもりながらか細い声でやるわけです。

誰も感謝に来ないわけだ。

I'm ashamed of myself
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ゲハジのガーデン 

社会心理学入門を読んでて、ふと人間が歩んだ歴史はこれが最初では無いのではないか。とか想像したんです。

人類は中世やそのもっと前から、宗教や呪術、しきたり、慣習といった非合理のもので、生活を律し、その生き方を規定する事によって、精神を安定してきたという説があるようです。

で、現代はというとそういうものを捨て去った結果、人生や命の意味を一人で再定義しなければならなくなり、精神の安定を失っているのではないかと。ではどうして今より文明が進んでいなかった時代に精神を安定させる、宗教や慣行を持つ事が出来たのだろうか?

以前にテレビで、数十万年後(数百万かも)の地球のシミュレーションした映像が放映されていて、それではある程度の時間が経過すると、人間が生活をしていた痕跡なんてものは全て、後片もなく消えうせるだろうと予測していたのです。

もしかすると、その痕跡はもはやないけど、今の人間の前にも高度な文明が存在して、その生物が、後世の生物が幸福になるように宗教や神といった概念を作り出したのではないか。とかそんな事を埒も無く考えたのでした。

ま、こういう行き巡りは手塚治虫さんの火の鳥とかでも扱われてるし、そのさらに前を考えるととりとめもなくなってしまうんですけどね。


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ハートもリンクして♪ 

20081116124448
というわけで
今日は雨天にもかかわらずプリキュアのイヴェントに来てます。

子供の為ですよ。誤解なきよう。
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映画レビュー”Yes!プリキュア5GoGo!” 

いやあ、めっきり寒くなりましたね。

子供とプリキュア5!GoGo!劇場版を見に行きましてね。

まぁ僕にとって、子供と映画を見に行くのは至福の時なんであります。
子供が目を輝かし、嬉しそうに笑う顔を見るのに勝る幸せがこの世にあるのでしょうか。

あ、ちょっとおかしい奴の戯言と流してくださいね。

とはいえ、目を輝かす子供を見て、あぁ自分はこんな当たり前の事もしてこなかったのだなと少し寂しい気持ちにもなりました。


ストーリーはお菓子の国に招待されたプリキュア達が、その国の猟師によって手厚く葬られた…
ではなく、可愛いプリキュアたん達が、ひょんな事で訪れた、お菓子の国の政変に巻き込まれるというものです。お菓子の国にはかつて賢政を敷いた女王がいるのですが、その女王の様子がおかしい。目も虚ろに「もっと美味しいお菓子を食べたい」とか言うわけです。それで謀略を巡らし、プリキュアをお菓子にしてしまおうとするのです。

でも本当は女王さまは悪い摂政に魔法だか呪いだかをかけられ、悪い女王にさせられてしまっていたのです。果たしてプリキュアはお菓子王国を滅亡から救えるのか、女王さまは良い女王さまに戻れるのか。って凄くどうでもいいストーリーのように見えます。自分ももうちょっとで鼻くそほじりながら「フーン」と見てしまうところでした。


だけども、ちょっとJWと関連させたら、自分の母親も、JWの教理に翻弄されて、本当の愛情を示す事が出来なかったのではないかとか連想してしまいましてね。最後の方で女王さまがお菓子王国の姫に謝るシーンでは泣けてきてしまいました。

映画館で、こんなキャラを見ながら目をウルウルさせていたゲハジ

(携帯から閲覧されてる方はクリックしないで下さい。自分で今チェックしたら見れませんでした。申し訳ありません)

pricure



我ながら想像したら悪寒がしたわ。

あ、本物は全然貧乳ですよって中学2年の設定ですから。
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to Elder's son 

コメントにしようかと思ったのですが、非常に亀ですし、コメントにはちょっと長めなので記事にしました。


長老の子供であった事についてとらさんが書かれた記事を読みました。

確かに、とらさんに直接被害を受けてるわけではないので、とらさんが、そこまで謝る理がないのも事実だと思います。

その一方で、とらさんがこうした記事を書かれることによって、何かしら心が癒される、被害者感情を持たれる方がいる可能性も否定できないような気がしています。

自分が直接被害を与えてないからと言って、被害者以外の人間には謝らないと言う責任者や権力者は愚か者の烙印を捺される事でしょう。

狭い範囲とはいえ、長老はやはり権力者としての側面もあったと考えるなら、公(JW関係者)に向けて読まれるブログに於いての発言として、 正当なものであり、大きな意義もあるものだと僕自身は感じました。

しかし、ゲハジが接してきた長老の家族は、恐らくはとらさんがそうであったように非常に暖かい、いい人が多かったと記憶しています。特権階級的な意識も殆ど感じられなかったし、むしろ、長老家族ということで模範的な行動を求められたり、何かしらのミスで自分の親の特権が脅かされる心労とかがあって、大変だなと思っていました。

JWにも色んな立場があって、それぞれに大変な思いをしていた事を改めて感じさせて頂いた記事に感謝しております。

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コーエン兄弟のノーカントリーを見た。

最高!そう、psycho!
…すまない。
100点満点なら星5つの出来映え。
僕の中のベストムービーはこれで決まりだ。大して見てないですけど。
多作とは言えないが、常に前作の上を行くモノを作れるアーティストってそうはいない。
コーエン兄弟作品と言う事で、かなり期待を持ってみたのだが、その期待は裏切られませんでした。

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sigur

舞台は1980年台のアメリカ・テキサス?(メキシコ国境近く)
映画は冒頭、トミーリージョーンズ扮する老保安官の、頻発する動機の分らない殺人に対する呟きが流れる中、殺人鬼(あえてこう書く)アントン・シガーによる保安官、民間人殺害シーンが描かれていく。。時刻は何故か15時ちょうど。ディテールの細かい描写に息を呑む。シガーは息をするように人を殺していくのだが、保安官を手錠で絞め殺す際、抵抗の後として、無数の靴跡が描かれ、シガー自身の手首もその膂力で逆に傷を負う。

ルウェリン・モスはシカ狩に出かけた先で、銃撃戦の後とみられる、車と数人の遺体を見つける。そこには大量の現金と麻薬があり、一人の重傷をおっている生存者もいたが、逡巡せず、ルウェリンは生存者を置き去りにし、金をとって家へ帰る。だが、夜中になり生存者の存在を忘れられず、引き返す事に。そして麻薬密売組織と鉢合わせ追われる身となる。そして組織は追跡と暗殺をアントンシガーに依頼する。その追走劇の後には大量の死体が。またそれを追う老保安官。

この三人のストーリーが交互にあらわれ、交差していく。

この映画の通奏低音として、ヴェトナム戦争後のアメリカがある。そのため、ルウェリンも一般人でありながら、サヴァイバル技術に長け、殺し屋アントンシガーと対等に渡り歩くのだ。

アントンシガーは所謂サイコパス(正確な表現ではない)だが、その表現において他の追随を赦さない出色の出来であると思う。やばい。かっこよすぎる。おかっぱ頭のサイコキラー。どうやら女性経験は無いようだ。もうそこで激しく感情移入してしまう。正直、デニーロのタクシードライバーの上をいってる。と僕は思う。


この映画には暗喩と思われる映像が幾つか映し出される。何度も出てくる醜いと現わされるであろう種類の犬もそれだ。この犬は南米でピューマなどの狩猟に用いられる獰猛な犬種ドゴ・アルヘンティーノのようである。

シガーの、もしも実際に起こったら、狂気の冷酷殺人と呼ばれるはずの所業も、獰猛な犬同様、動物の本能に基づく行動と見るならば、理にかなったものだと私は思う。

獰猛な犬は、人間が作り出したと考える事もできるが、これもヴェトナム戦争によってそうした人間を作った事を示しているのかもしれない。

シガーは出会った人間全てを殺すわけではない。自分の設定した目標を阻害するものを排除するだけだ。

これは反社会的で愚かしい危険な思惟なのかもしれないが、もし人間が全くの偶然による進化の所産でDNAの自己複製の目的で利用されているだけなら、他の動物と変わらないなら、やはりシガーの行動はむしろ正しいものと捉えるべきだと考える。

憎しみなどという不安定な要素に動かされず、目の前の標的を殺すだけ。訓練された犬と同じである。
人間が偶然の所産なら、全てのヒューマニズムは幻想である。1人では遺伝子を残す事が難しいから、家族や社会を形成し、それを維持するために情愛などで補強する。しかし自分の身の危険も承知し、自分の目的に純粋にただ生きるのが人間の本来の姿であれば、シガーの生き方は賞賛されて然るべきものだ。

最近読んだ本、坂本龍一と天童荒太の対談集、”アフリカと少年”の中で著者の二人は何故人を殺してはいけないかという問いに対する答えとして、自分が殺されるのはイヤだから、人にはしないという答えで意気投合している。私はこの答えでは不十分のような気がしてならない。シガーのような人間にとってその答えは無意味だ。彼は自分が死ぬ事を恐れていないからだ。死への恐怖をもたない存在がある時、人を殺す事を否定する理由としての、自分が死ぬのを裂けたいからという言葉はにべも無く、無効化される。

そう考える時、現代の理由なき殺人というのは人間が神を否定し、自らが神となった時に起るのではないかと想像した。逆にそれまでの大量殺人は神の名の元に行われてきた。つまり神の許しがなければ人は大量殺人を起こすことが出来ないのでは無いだろうか。

世界には生が溢れてるそれは同時に死が溢れていると言う事だ。微生物から動植物に至るまでいたる所に死があるのだ。だから、偶然によるかのように死をもたらすシガーはある意味で、自然そのものであり、美しくすら映るのだ。

だから、シガーを見て僕は胸のすくような思いがした。

こんな事を考えるゲハジは創造論に未だ冒されている旧時代の遺物に違いない。

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ちょっとイッてる感じでごめんなさ~い。

こう書くとかなり怖い映画のように見えるがご安心を?
まぁ確かにR15ものなのですが、さすがはコーエンbros、お馬鹿キャラが何名か存在し、シガーの所作にもユーモアが見え隠れするので、絶妙に恐怖と滑稽さがバランスよく配合され、たんたんと見ることが出来るとおもいます。

って、みなさん既に観られてるか。

あんまり好きになりすぎてシガーをプロフ画像にしてしまった。
次オフ会行く時は全身デニムと、ウェスタンブーツで決まりだな。
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ゲハジの五行詩(ルバイヤート) 

となりで娘が熊のぬいぐるみを抱えて小さな寝息をたてる。

毎日が遠足の日のようにワクワク出来る日だったらいいのに。子供の時、いつもそう思っていた。

そんな日常を手にしている。

何か超越的な存在に感謝したくなる。

その前に嫁に感謝せよ。
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Yes We Can (what?)雑記 

オバマ氏当選しましたね。

ゲハジには肯定的な意見と否定的な意見があります。

肯定的なのは、まずカッコいい!日本猿みたいな大統領より見てて気持ちがイイと言う事でしょうか。昔からデンジャラスのノッチ大好きだし。人種問題の大きな進展と見る事もできるかもしれません。(未だに現代国家で人種がどうとか言ってる時点で愚かしいですが)

否定的なのは、黒人が大統領に選ばれた事で何か、アメリカが人道的に正しい国のように見えてしまいますが、外交の姿勢が百八十度変わるわけも無く、依然として世界の警察として自国の利益の為の軍事行動、諜報活動が続けられるであろうという点が曇って見える事です。加えて、選挙戦を見て思ったのですが、キリスト教や他の宗教を信じる人が大半を占める票になんの意味があるのでしょうか。人格神を信奉すると言う事は現代の科学を否定する事に他ならないのではないでしょうか。そんな非科学的な国家が世界のリーダーであるのはどうなんでしょうか。宗教を捨て去った日本こそ現代の担い手として相応しいのではないでしょうか。てちょっとアンチテーゼな訳ですが。

…アンチテーゼの使い方間違ってる訳なんですが。

宗教と、科学は対立せず存在が可能だと言われる方もいます。
しかし、実在しないと思ってる神に信仰を働かせる事は不可能だと思います。選挙の趨勢を握った福音派の集会の様子を見ましたが、天を仰ぎ涙を流し神に祈っている姿からは、彼らが心にだけいるよう神を信じているようには見えませんでした。

人類はいつか宗教を捨て去る日が来るのでしょうか。

こういった事柄に対する、正確な知識、自分の見方というものを未だ確率出来ていないことを恥じます。

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奥歯にものが挟まってます。
あるブログを訪問してちょっと寂しい気持ちになりました。
でも、紳士的に受け止めてる方や冷静に話をされてる方を見て
すごく勉強になったんですけど。
少なくとも批判しておいて、話し合いはしませんてのは悲しいな。
JWもやりますよね。一般のキリスト教を叩くけど、話し合いはしない。


ブログって車みたいなものだな~と。
色んな人が乗っていて、丁寧な運転をする人もいるけど、
乱暴な運転をする人もいる。
人の運転に腹を立てて、クラクションを鳴らしっぱなしにする輩。
人の運転が鈍いとアオりまくる人。
車に乗ると人格の変わる人。
自分の運転が正常だと信じて、他の人に迷惑かける人。
それもこれも、車って閉じられた空間なので直接顔が見えない
事に起因してるような気がするんですよね。ブログもそう。
自分の攻撃的な顔が見えないと思ってるからそういう事が出来る。
相手の顔が見えないからそういう事が出来る。

そして、それが原因で事故が起こって人を傷つけたりする。

だから、いつも冷静でいたいです。
「バカヤロー!早く行けよ!」
とか言われても安全運転したいものです。

しかもブログの場合、教習所のような所がなく、
ネット上のマナーや、感情をどう扱うか知らずに
書いている場合が少なくない。

自分も気をつけないといけないなと思いました。

アオられた時はすぐ抜かさせて、その後、後ろにベッタリついて
同じ気分を味わっていただいたり、後ろからクラクション鳴らされた瞬間
交差点だろうと、車止めてしまう僕こそ本当にダメドライバーであります。

Yes we can!
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あ、車の事を考えてついでに思いついたのですが、
(よく言われることですが)
女性が男性を見定める時、男性の所有する車って
重要ではないでしょうか。別に高級車に乗ってる必要は
無いと思うのですが、定期的に整備して中も綺麗に整頓して
大切に車を扱っている男性は、女性にも同様に大切に接してくれる
可能性が高いのでは無いでしょうか。特に古い絶版車でも丁寧に
乗っておられる方はそうだと思います。
まぁナンパ目的で綺麗にしてる人もいるので一概には言えないですが。
車も人も慈しむ気持ちって大事ですよね。
って自分に言い聞かせております(汗)
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お詫び 

皆々様

私、ゲハジ、脱ぎ捨てるべきふるい人格、嘘を吐いておりました。
平に御容赦願いたい。

先日の記事で、JWから告白された事が無いと断言していたのですが、いや本当にあれを書いていたときはそう確信していたのですが、記憶の糸を辿っていったら、たった一度だけ告白、いや告白らしきものをされた事実を思い出しました。たしか高校生の子だったと思います。伝道者だったでしょうか?

「私、ゲハジ兄弟の事、好きかも」

かもってなんですか!男心を弄ぶのもいい加減にして頂きたい!好きか嫌いにかもなどあってはなりません。確かに、”かも”という仮定形を付ける事によって、それは自分の気持ちなのかどうか分らないと断りを入れた形になりますから、万一、拒否られた際に自分が被る被害を少なくする事が出来るかもしれません。でも、自分の恋愛感情を伝えるのに答えを相手に委ねるとは何事ですか。

ま、その女の子は自分には付き合っている男がいるって言った話の先で、このセリフを言われたので厳密には告白ではないのかも知れません。もし今その人に会って確認したら、「バーカ、かもって言っただろ。告白とかキモイんだけど」とか言われるのは必至でしょう。しかもその女の子は色んな兄弟のことが好きだったようでして、なんとなく好意が無くもないうちの一人というだけであったようです。

ですので、天地神明にかけましてもJWに告白されたのはその一度だけであるのです。後にも先にもそのような事は一度もございません。つまりは告白された事など事実上一度もないということであります。

まぁ「かも」って言われた事を、”告白された”などとイチイチ覚えてるゲハジは確かにキモいんですけど。
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ゲハジと恋に落ちたら 

いつも御訪問ありがとうございます!
おかげさまで10000アクセスを記録しました。
てか半分以上自分のアクセスだとは思うんですが。
でも、一応は一つの到達点を越えられたと言う事で
記念企画?をお送りいたします。
例によってくだらない内容なので、お気をつけ下さい。

ゲハジと恋に落ちたら

~~
ふと時計を見ると、16時5分前を示す文字盤にひとつ雪片が降りてきた。そこに降りて時計の熱に溶かされるのを望んでいたように、それはすいよせられてきた。そろそろ時間になる。ゲハジは少し歩みを早めた。奉仕の集合場所まであと少しだ。

12月24日。ゲハジの所属する会衆に商業区域はないので、クリスマスイブと言えど、街の雰囲気は通常と変わらなかった。それでも何か心の中に寂しい気持ちが去来する。今頃、普通の若者たちは恋人と心ときめく時間を過ごしているのだろう。

奉仕場所には誰もまだ来ていなかった。ここ最近は夕方の奉仕の支持が減り、1人で奉仕することも多くなってきていた。今日も1人か。イルミネーションで飾り立てた家の明かりがふと目に入る。10分待って誰も来なければ、今日は家へ帰ろう。
靴紐を締めなおす為に、かがんだ後、立ち上がると、4つの人影が近づいてくるのが見えた。時々、夕方の奉仕をされる全時間の仕事を持つ僕(しもべ)の兄弟とその家族だった。この兄弟には20歳になる姉妹と、18歳の伝道者の娘さんがいる。その二人が、両親と談笑しながらこちらへと向っていた。そして、ゲハジはその姉に恋をしていた。色が白く、ふと見せる笑顔が素敵な女性だった。彼女には会衆の兄弟の何名かが思いを寄せていた。

正確に言えば、それが恋という定義にあてはまる感情であったかはゲハジ自身も分っていなかった。ゲハジの会衆にははっきりとではないが、経済状況による格差が存在していた。殆どの交わりもその経済格差によって別々に行なわれていたので、交わりに於いて彼女と接する機会も無く、群も違ったので数えるほども話をした事がなかった。だが、ゲハジは集会で、その姉妹を見るだけで胸がいたんでいた。それは彼女が他の兄弟たちと話をしている時、さらに強さを増した。

だが、心の中で「好きだ」と言語化する事はなかった。殊更に説明するまでもないが、JWに於いて恋愛感情というものは口に出したが最後、結婚と言う男女関係における最終局面まで一直線で繋がっている為、恋愛感情が高まらないように自制していたのかも知れない。

区域を持っていたゲハジは家族で組んでもらい、自分は別のブロックを回るよう指示をださせてもらおうと思っていた。

「ゲハジ君、この後、ウチで食事をしていきなよ。」お父さん兄弟が、今日は寒いねとでも言うように、さりげなく言った。
ゲハジはその言葉の意味が分るまで少しの時間を必要とした。経済的に違う家に行って良い思いはした事が無い。それはゲハジの被害妄想に原因があったが、JWであるのに何故ここまで違う生活があるのだと悲観的な気持ちになるのはいつも不可避な事であった。だが、思いを寄せる姉妹の家に行ける望外の機会などもう無いかもしれないと思い、やっとの事で「いいんですか」と聞き返せた。
奥さん姉妹と二人の娘は、微笑むでもなく視線を自分の吐く白い息に合わせている。やはり、望まれてなどいないのだ。お父さん兄弟の気まぐれなのだろう。

「もちろん。大した食事は準備してないけど、よかったら来なよ」

「あ、ありがとうございます。」

結局、別のブロックを一人で奉仕をした。頭の中で、家に上がってからのシミュレーションで慌ただしく、雑誌は一冊も出なかった。何を話せばいいんだろうか。励ます経験を思い出さなくては。

集合から45分後、ゲハジが集合場所に戻ると、家族は既にそこで待っていた。
「冷えてきたね。」区域が手渡される。二組で回ったとは思えない数の件数しか訪問していなかった。

「じゃ。7時くらいに来てよ」

「はい。ありがとうございます。」

手土産を何にしようか悩んだが、結局近くのケーキ屋で4つ別々の物を買って行った。クリスマスの日でケーキ屋は混雑していたが、クリスマスケーキは予約制らしく通常のケーキは待たずに買う事が出来た。自分の分を買わなかったのは食事をしたら、なるべく早くお暇しようと考えていたからだった。緊張に耐えられる気がしていなかった。

「おお、いらっしゃい」

お父さん兄弟に迎えられ家にあがると、暖かい空気と共に、オーブンで料理をした匂いが体に当たる。普通の心を持つ人間ならば心地よい気分になれるだろう。だがゲハジにはそれは経済上の格差の匂いだった。少し来た事を後悔し始めていた。

食事は、最近の会衆の状況や、兄弟姉妹の話、家族のレクリエーションの話が給仕役となって味わう時間が無いほど早く過ぎた。

長居になる前に帰らなければならない。だが、結局ゲハジは姉の方とは殆ど会話を交わせずじまいだった。姉があまり会話に乗り気には見えなかったのである。かたや豪華とは言わないまでもしっかりとしたマンションに住む人間。そしてゲハジは周囲が糞便の匂いが漂うようなアパート暮らしである。納得は出来ないが、姉妹の気持ちも已むを得ないものだと理解は出来た。そのように、自分で、勝手だと知りつつ解釈するしかなかった。

帰る旨を切り出す。
「今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそありがとうございました。」

不可解な事に玄関まで送りにきたのはお姉さん姉妹だけだった。ゲハジは少し緊張しつつも会えた喜びを伝えたくて精一杯微笑んで感謝を伝える。多分この人とは住む世界が違う。でも、こうやって一緒に食事ができた事は僕の大事な思い出となった。ありがとう。ゲハジは残念だが、諦観とも少し違う爽やかな気持ちになっていた。

「あ…ゲハジ兄弟」

節目がちに、しかし、ためらいを振り払うように姉妹が言った。

「ゲハジ兄弟の事、好きなんです。」

絶句。

冗談は辞めて下さいと喉まで出かかる。だが、その真剣なまなざしを見て自分の置かれている状況が、じわりと認識された。声を返すまでの時間はきっと姉妹にとって恐ろしく長いものに感じられただろう。ゲハジはそれよりもさらに長く感じていた。確かに身分の違いなどが頭を過ぎり、思考と呼べそうな事が脳内で起こったが、それは心を動かす白に埋め尽くされた。

「僕も、好きです。」



一年前のこの出来事を、公園のベンチに座り、彼女の手を握りながらゲハジが思い出していた。
今日は12月24日。ふさわしくないかも知れないが二人にとっての記念日。
三人の人影が二人に微笑みながら近づく。

ふと時計を見ると、文字盤にあの日と同じように雪が舞い降りてきた。


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いや~クサイはマズイはで、ウンコみたいな文をスイマセン。
あれ、皆さんお気づきの通り、もちろん全部フィクションです。作り話です。

ゲハジはJWで告白された事ないですから。
なんか、皆さんのブログで過去の恋の話とか読んでて悔しかったのででっちあげてしまいました。

3人称と1人称の間みたいな文を書きたかったのですが難しいですね。
下ネタを封印するのも結構大変でした。
文章のアドバイスくださる方、大募集であります。

こんなダメブログですが、これからもどうぞよろしくお願いします。
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Requiem for gehazi 

レディオヘッドのライブに行きたかったな。
また、いつかいける日は来るかな。

僕の葬式にはこの曲で決まり。
"video tape"

No matter what happens now
You shouldn't be afraid
Because I know today has been the most perfect day I've ever seen

何が起ころうと怖がらなくたっていいよ。
だって。今日が今迄で最高の日なんだから。




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ゲハジの映画レビュー”NEXT” 

ニコラスケイジが好きだ。

彼の主演映画nextを見た。

movie-next-002

マイノリティリポートと同じく未来を見通せる力が基本コンセプトである。ニコラスケイジ扮する主人公クリスは2分後までの未来を見ることができる男で、その特殊能力をありきたりのトリックに見せかける手品を使い、ラスベガスでエンターテイナーとして生活していた。その彼がFBIの目に留まり、核による国際テロ事件に巻き込まれていく。彼の力でテロは防げるのか。というSFサスペンス。

何故かテロ集団はロシア系が起用されている。ロシア周辺はたくさんの小国が紛争状態にあるのでモデルとなる国が特定できない利点があるような気がする。(後から調べたら俳優はドイツ系でした)

ニコラスケイジの何が素晴らしいかといえば、その類まれな憂いに満ちた表情である。常日頃ゲハジはどんなに名優だろうが、人権や戦争などの社会問題を痛切に切るような映画に出ていようが、一旦役を離れれば、豪華な生活をしている映画人に唾したい気分になるひねくれものである。だが、ケイジは違う。映画に関連したセレブリティの家系に育ち、フェラーリを全車種コレクションするハリウッドスターでありながら、恐ろしく深い悲哀に満ちた表情を見せてくれる。大袈裟な演技とは違う彼自身の本当の心の闇がかいま見えるような表情だ。こんな悲しい顔を見せてくれる俳優が他にいるだろうか。

その素晴らしさは先に挙げた同コンセプト映画のマイノリティリポートでのトムクルーズの演技と比べるならばその差は歴然である。トムの役は最愛の息子を事故で失ったという誰もが感情移入が可能な悲劇の主人公設定だったが、その悲哀の度も、今作のニコラスの演技の前では軽く見えてしまう。それはニコラスの役の設定が、運命の恋人が現れると信じてレストランで毎日同じメニューを頼み続ける鼻の下がちょっと長いキモオタ役であったとしても全く影響されない。

監督は何故あえてニコラスケイジを起用したのだろうか。
この事で、映画全般がじめじめと陰湿な印象になっている。実際、普通のご婦人がニコリとできるような場面は殆ど無い。
彼ほどの有名な人でなくギャラの安いカッコいい新人を使うことだって出来ただろう。
しかし、この主役をニコラスがする事で、この映画をともすれば特殊能力を持つ人間がテロと戦うだけのBムービーにしてしまわずにすんでいるのも事実だ。また彼が演じることで、ラブロマンスがより魅力的なものになっている。

役中の彼は男性として魅力的な物を多く持っている。女性を驚かせる手品。会話を彩り、相手を喜ばせる蘊蓄。ウィットに富んだヒューモア。これだけ聞けば、完璧な男だ。しかし彼は明らかにヅラとわかる髪型で登場する。それが風にたなびく。あぁ!飛んでしまうのではないか!とヒヤヒヤする。だが、これで”面白い会話も出来ない。手品なんて一つも出来ない”ゲハジにも、わかるよ。わかるよ。ケイジ。風の日の奉仕は嫌なものだったね。とシンパシーを憶えさせてしまうのだ。

そして、そのニコラスが運命の女性に接近する。この相手役の女性もまた素晴らしいキャスティング。世界で最もセクシーな女性にも選ばれたジェシカ・ビール。キャメロンディアスからジャスティン・ティンバーブレイクが乗り換えるのも頷ける美貌の持ち主。唇が美しすぎる。いや、その谷間が…しかし、絶世の美女かというとそうでもない気もする。事実、映画の中でも庶民的な美人として描かれている。手の届きそうで届かない運命の女性を見事に表現していたように思える。

この映画は特殊能力者による国際テロとの対決モノというより、うすらハゲだって運命の美女を手に入れられる。そしてその運命の人を絶対手放しちゃいけないんだ。という髪に悩む僕らへの応援歌なのである。

見方を変えるとストーカー推奨映画に見えなくもないのだけれど。

と言う事で?この映画、非モテ系には堪らない仕上がりになっております。諸兄も是非ごらんになって下さい!

って絶賛しようと思ったら、物凄い評価低いんですね。この映画。やっぱり女性にはあまり訴えないだろうな。

負けるなケイジ。負けるなゲハジ
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