ゲハジは別に犬死でいいじゃない。

JW追憶記

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too close to love. 

くどいなと自分でも思うのですが、先回の続きです。

wisdomさんの意見、反論の一つ一つはそれ自体に間違った事は含まれていないと思えます。そして、今まで書かれてきた記事も、僕が読んだ範囲では、そこまで、常識を逸脱した内容は見たことがありません。宗教や人に凄く関心があって、善人であろうと努力されている方と言う印象でした。その方が何故、「あんた大勢から嫌われてるよ」と言うような事を言われなくてはならないのか。今回の事があるまで大変不思議でした。

これは、りなさんがすでに指摘されておられるように、距離感の問題だと思いました。

例えは、すごくいい香水。これ良い匂いでしょって、少量を適度な距離で嗅がされれば、ほのかに香ってくれて良い気持ちになれますが、鼻に直接噴霧されたら「くさっつ」ってなるのと同じでしょうか。

アロマオイルも適量なら、リラクゼーション効果が生まれたりしますが、精油をそのまま体に付けたりしたらアレルジーを起こしたりしてしまうのと同じでしょうか。

なんか違いますね。

あれです。北風と太陽はどうでしょうか。太陽のように暖かな気持ちで人に影響を与えるのは良いことなんですが、太陽が近すぎたら「アツっつ」。てなってしまう事とか。

うまく言えませんが、そういう距離的なものに対して、多くの方が違和感を持たれたのかなと想像しました。

これはwisdomさんお一人の話ではなく、もちろん私を含め、宗教をされてる人の類型の一つかな、と考えます。宗教をされてる方というのは人類の事とか地球の事とかを考えておられる故に、人類みな兄弟的な思想が多いですから、誰でも知り合った人には愛を示したいと感じるかもしれません。で、その愛には、普遍的に良いとされる行動規範みたいなのが含まれてて、こうしたら幸せになれるという知識を人に教えてあげたいという言動につながりやすい。

でも、多くの人は、行動規範や倫理的決定などに関して自分で考えて決めたいと思ってるんではないでしょうか。私のような盆暗は、そういう事を教えてくれる人に対して「マジっすか。あざーす!」となるんですが、多くの人はそういう事は自分や家族で決める事で、あまりゆかりの無い人に言われたくない。となるような気がします。

wisdomさんが暴言の理由を推測して、相手に伝えるまではwisdomさんの分で、でも、その先の許すか許さないかと言うのは、もう完全に当事者の方の分なので、「許してあげてください、痛みを見てあげて下さい」となると、多くの方が「距離近っつ!」と感じられるのではないでしょうか。

でも、結局、wisdomさんがご自身の愛に基づいてそうされるのは自由なんですよね。で、それに対して怒りを覚えるのも自由。じゃぁ俺はいったい何を書いてるんだろう。

あ、だから、wisdomさんが、怒ってる方に対して本当に講和を望んでいらっしゃるなら、今回怒ってしまっている人の感情を逆なでするのは逆効果、というか、なんか、愛を求めての行動が本末転倒になってしまっている様に見えるのが残念なのかもしれません。

もし、聖書で説かれている愛のような事を実践するのであれば、「でも、私は悪気は無いんです」というニュアンスの言葉を仮に正しいとしても使ってしまうと、いつまでたっても和は訪れないかもしれません。

何かwisdomさんに対しての一方的な記事になってしまってますね。

というのは前の記事でも書きましたが、僕もこの点が夫婦に於いて挑戦となっているからです。(←JW用語でしょうか。)ですので、人事だと思えずにいます。
ですが、夫婦は基本的には和解しなければ、悪影響が罪の無い子供に及ぶので、どんな犠牲を払っても和を図るべきだと思いますが、web上での価値観の軋轢は大人同士の問題ですから、当然、wisdomさんが一方的に謝る義務は無いと思います。解決を望まない選択肢だってアリだと思います。

なんといいますか、怒りを覚えている相手に対して、釈明しつつ許してもらうのは難しいのでしょうね。いや、でも仲直りしたいが故に釈明したい気持ちも凄く理解できるんですけどね。

webにはルールは無くていいけど、人の心の交流にはある程度の常識とされる、守るべきルールがあるのかも知れません。ゲハジ自身それが何なのかよく解っていないのですが。

まとまってなくて本当にすいません。

いずれにせよ、ゲハジはwisdomさんの宗教や哲学の豊富な知識に基づく記事をこれからも楽しみにしてます。


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追記:

wisdomさんが”宗教がお好きな事、研究生としてJWに関わっておられる点”を非難する向きもあるように感じているのですが、私はそれはちょっと違うなと思っております。もしかすると読み違えている可能性もあるのですが、この宗教に関わった人は、研究生だった時期がある訳で、何ゆえその点を非難できるのか解らないでいます。JWの良く見える部分に惹かれたのは誰しも一緒じゃないのかな。なんて。
人の心の問題にヅカヅカ入って来るのは一部の現役の方、組織で権力を持っている方の十八番、常套ではないのでしょうか。脱JW出来た方は、まったくそうした事を行なって来なかった自負があるのでしょうか。生活の全てをJWに捧げて苦労した経験がないから駄目なのでしょうか。もし経験の差が問題なら、1世の方は、ムチに関して何も発言すべきでは無いという意見もありとなったりしてしまうような。僕はそう思えません。でも、かくいう私も自分より裕福だったり、大学に行けたり、楽をしているように見える年代の違うJWには嫉妬していますが、それは声高に言えるほどカッコの良いものではないような気がします。

oops! I lost myself

ぁあ、なんか足元から焦げ臭い匂いがするような感覚がします。

そして、もし私のような性格の悪い現役がいたら、こういうネットの状況をほくそ笑んでしまうような気がします。ハハ、背教者同士いがみ合ってるよ。と。それもまた悔しいような。
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悩みに悩んで書いております。
ばうちんさんのブログクルルさんのブログにて、”JWの矛盾に気づきながら、宣教に出ている現役に対する痛烈な批判”がなされており、それに対して自分の思ったことを書こうと思ったのです。

常日頃、ばうちんさんの考えや行動には敬服しており、クルルさんのブログも愛読させていただいているので、いざ同調しない記事を書くとなると強い躊躇を覚えています。しかしながら、単に同調するだけの人間ばかりでは議論は進まないでしょうし、この糞便のようなゲハジの文にも何がしかのJW問題解決の足がかりとなる事が、無意識にせよ含まれている事を信じて、あえて違う立場からモノを申してみたいのであります。

JW問題を考える時、被害者側と加害者側に分けて考える方法があると思います。今回の件で言えば、ばうちんさんは被害者の側にその立場を持たれ、共感し、怒りを覚えておられるのではないかと思います。そしてこのような感情は決して無視すべきでなく、被害を与えた我々JW関係者は真摯に受け止めなければならないものです。

どせいさんが最近仰っていたことの中に、”JW問題の解決には「善意の第3者の助け」が有効である”というものがありました。確かにその通りだと思います。しかしながら、現実には、客観的立場に立つ、双方にとって善意の第3者という方が出てくるのは難しいように感じます。やはり訴えとして耳を傾けたくなるのは被害にあった人の声であるからです。そうであるならば、JW問題に関わりつつも極力客観的な立場に立とうとし、その意見を述べるものがその立場に代わって立つしかないのかもしれません。そこで、私はあえてJWの矛盾に気づきながらも宣教にでるような人間の立場がどのようなものか考慮して、そのような人々を加害者側と断定する事が最善なのかどうかを考えてみたくなりました。

言うまでもなくJW問題には被害を被った方々が現実に存在しており、このような考え方に抵抗を覚えるのも当然であると私は感じます。またそこには人間の感情が絡んでおり、理屈では捉えきれない事が含まれているのもまた事実です。

殺人を犯した人間に人格なんか認める必要ない。即刻死刑でよろしいという考えもあるでしょう。しかしながら、何故その犯人が犯罪を犯したのか、これからそのような犯罪が発生しない為に何が必要なのかを考える事を残された人々が行っていかなければ、取り返しのつかない被害にあった被害者というのは永遠に報われないのだと思います。

とは言うものの、所詮はゲハジのブログ。今、書いたことを読み返しましたが、単なる詭弁に過ぎないようにも感じますし、議論に水を差すだけの無価値なものと唾棄されても、文句を言えない内容でしたが、自分で考えること、そのプロセスに何らかの価値があると信じてあえてUPしようと思います。

ですから、ゲハジは以下に続く文を読まれて、多くの方が不快に感じ、お叱りの言葉や「違ーだろヴォケ」「氏ね」「売春婦の息子」「私の臀部に接吻しなさい」「私の肉棒を舐りなさい」「肛門」「掘られてまえ」等の非難がなされてもそれを甘んじて受けようと思っております。

とは云いつつ、この後、ガクガク震えた手に汗しながら送信釦を押すのでしょう。

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JWから出るのは、どのような場合でも当然であるのか。

組織の矛盾に気付いたなら、奉仕を即刻止め、エホバの証人を辞めるべきである。それが、人間として当然の行動である。

このような意見はexJWの大勢を占めるものである。私が考えるに、多くの場合、そうした意見を持つようになるのは、学生時代に集会に行く事をやめ、人生の早い段階でJWと決別した人のように思える。そうした人々は宣教に積極的に参加してきておらず、伝道で他の人に偽りを伝えるという、いわば血の罪を負ってはいないのでそのように言う権利があるように感ずるのであろう。

こうした意見の是非自体は、別段問うまでも無い。この意見は至極正論である。しかし、JWに人生の大半を費やした者にとっては、これを実践するのは容易ではない。ましてやそれが出来ない人の事を論い、非難する事に私は幾許かの抵抗感を覚える。

何故ならば、JWにどっぷりと浸かり、そこにおける人間関係しか残されていない人間にとっては、そこは社会そのものだからである。なるほど、自業自得であろう。他の人に被害を広げる伝道などに参加するのは言語道断である。という意見自体は論を待たずとも正当なものに違いない。

しかし、その言葉だけで、断罪を済ませてよいものだろうか。

自業自得である。この言葉は、こと1世のJWに関してよく用いられるが、教理の矛盾に気付く事と、自らの社会(JWの場合、組織)から抜け出る行動にでると言う事には、実は大きな隔たりがあり、即刻結びつくものではないのだ。

この日本を含むいわゆる西側諸国や先進国という存在について考えてみればそれは明らかだ。多くの日本人、欧米諸国の人間は自分たちが、世界の搾取者である事を、多くの事実から気付いている。我々が安価な洋服、食物、宝飾品を手にして悦にいってる時、その下には後進国の人々の血が広がっているのだ。

だが、我々は生活を止める事などしない。諸外国に出て、貧富の差をなくす為の活動に身を差し出すでもない。よくて車の使用を抑えたり、ゴミを分別する程度の事をするだけである。

つまり多くの人の場合、如何に自分の行動の結果により、目に見えない他者が困窮したり、苦境に陥ったとしても、無感覚でいることが可能なのである。ましてや自らが住みついた社会から出て、解決の為に行動するような人は極めて稀であろう。

しかし、多くの人はその事を非難などしない。引き続きその社会に所属し、出来る事をするだけで十分である。もしくはそれが出来る事の限界であると考えているのではないだろうか。

こうして考えると、組織の矛盾に気付いたとしても、社会(JW)から抜け出る事は、そうした社会に属してしまっているJWの人々にとって想像することも適わない事であると理解する事が出来る。

またこの問題のもう一つの側面として、宣教に参加する人々の意識には「組織は大きな矛盾や間違いを内包している。それでも、聖書そのものには価値があり、家庭、社会その他の諸問題を解決する鍵がかかれている。そして聖書にその事を述べ伝えなければならないと命ぜられている。」というものがあるように思われる。これは特にJW一世など脱JWから日の浅い人にも良くみられる傾向である。いわんや現役においてはこうした考えを持っているだろう事は想像に難くない。つまり彼らは組織の矛盾に気づいていようが、宣教の不利益に気づく事は決してないのである。

では、組織の矛盾に気付きながらも、その活動を止め(られ)ない人々に対して我々はどのように行動すべきなのだろうか。

JWに関わった人間が想像する事が出来ないでいる、”より健全な社会”が存在する事。またそこに加われるのだという歓迎の意志を示していくべきであろうと私は考える。そのような受け皿が存在する事を知らなければ、例えJWの教義の矛盾を認知したとしても、その社会から抜け出る行動はできないのである。自分の所属する社会から脱却するその努力は個人個人の力では達成するのが難しい事は前述の先進国の例えで述べたとおりである。

しかしながら私のこの考えや主張は、前書きにも書いたとおり、JWによって甚大な被害を受けた方達が、JWに関わる人間を死刑あるいは終身刑に値するような存在、つまりJWに幽閉されたまま死んだ方がいいと考える人々にとっては全く受け入れられない物である事も理解する。

それでも、JW問題の先に広がる展望を考える時に、今現在、組織と教義の矛盾に気づきつつ宣教を行っているJWに対しても、その立場を尊重する姿勢を持つ事は、一見、博愛主義、寛容主義に過ぎるように見えるが、その後、そうした人々(特に1世信者)によってJWを抜け出る事が出来た経験が話されるようになるならば、JWのマイコンがどのようにして人の心に入り込むか、どのような被害をもたらすかについての更なる、情報が加えられ、JWによる被害を食い止め、あるいはJW組織のような存在を社会から無くす、より効果的な一助になるのではないだろうかと考えるのである。

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読みにくいアフォーな文章なのに最後まで読んでくださった方に感謝です。
途中でやめられた方には申し訳ありませんでした。
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弱酸性メリット of JW 

いや~レッドカーペットを見ながら最近つまんねぇ~な~と思ってたのですが、「じゃぁお前やってみろよ」という声がどこからともなく聞こえました。言うまでも無い事ですが、いかにつまらなく見えるネタでも、それは芸人の必死の努力の上に成り立っているのであります。いわんやこのゲハジのブログもであるのです。こんなダメな文章でも、血のにじむような努力から生まれているのです。つまんねー記事だな。死ねよ。という香具師は、じゃぁお前ら書いてみろよ。という事ですよ。

もちろん嘘です。こんなダメな文章は誰にでも書けるでしょう。いや、誰も書きませんね。

なんか良い事ばっかり言ってると本来のゲハジの下劣さとブログのイメージが乖離する危惧を抱き、ちょっと乱暴な物言いの出だしにしてしまいました。うん。全然良い事なんか書いていませんね。

とはいえ常に、いい文章を書きたいとは思っていて、参考書のようなものを読んだりもしてるのですが、いかんせん排泄物のような文章しか生まれず、才能の無さを強く嘆いております。

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芸は身を助ける。という言葉がございます。

JWにいたメリットなんて何も無いと言う意見を仰る方は大変多いと思うのですが、これにゲハジは異論を唱えたいと思います。といいますのも、exJW(現、元問わず)とりわけ2世のJWの方には一つの特徴、あるいは特技が自然と備わっていると思うのです。それは歌です。ゲハジは現役当時、歌の下手な2世の兄弟に会ったことがありません。総じて皆、歌がうまく、中にはプロの歌手顔負けの方も多かったように思います。

あ、姉妹についてはよく知りません。兄弟同士ではカラオケによく行き、他の会衆の兄弟の歌などをよく聞きましたが、姉妹たちは、ゲハジ兄弟とカラオケなんて一緒に行ったら襲われるに違いないと考えていたのでしょう、姉妹たちからカラオケに誘っていただく事なんて皆無でございました。

このJWの歌が上手なレベルというのは、明らかに一般のの人々と比べて高いのではないでしょうか。ゲハジも極まれに一般の方でも上手な人に出会いましたが、よくて20人に1人くらいの比率だったと思います。それに比べてゲハジの会衆の兄弟たちは10人いたら10人とも上手でした。

これはやはり幼少期から集会で歌を歌っていた事が影響しているに違いありません。一回の集会で3曲、それを週2回という一見たいした事のない回数に感じられますが、80年代から90年代の集会を休む事を知らなかった世代は、楽器を習い始める限界という説が有力な12歳までの間だけでも、12年間で3800回程度は普通に賛美の歌を歌って来ているのです。

あれ、意外にたいした事無い回数のような気もするな。いやいや、継続は力なりと申します。

ピアノを習ったりしない普通の男子と比べるとやはりその音楽に接する頻度、そして最も音楽に対する感受性の高い時期に、内容には若干の疑問はあれ、歌う事を幼い時から継続してきたJW2世と、一般の方との間に歴然たる差が生じてもおかしくはないといえるのではないでしょうか。

ですから、元JW2世の方なんてのは、会社や友人とのカラオケなどにおいては、頭が脂肪で出来てるような女性から「すっごーい!歌上手ですね。おっぱい揉んでください」みたいな事を言われるという美味しい思いをされてる方も多いのではないでしょうか。これをJWに育ったメリットと言わずしてなんと言うのでしょう。

今のは半分冗談ですが、なんだかんだ人付き合いにつきもののカラオケなどで、大きいアドバンテージをつける事が出来る事は間違いないでしょう。

身を助ける程では無いにしろ、ちょっとJWやってたメリットもあると思わないとやってられないと思うのはゲハジだけでしょうか。

まぁ当のゲハジはといえば、嫁さん(ピアノが弾ける)から「ゲハジは下手な人の歌だと、ちょっとはマシに聞こえるね」と言われる程、賛美の歌を歌っててもダメー!という非常にレアな喉を持ってたりするんですがね。

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何だこれ。排泄物というより。すかしっ屁みたいな文章だな。排泄物はもっと存在感あるからな。

いや~あらびき団の方が面白いな~巨乳まんだら王国はイマイチだったけど。





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緊急告発!全ての女に懺悔しな! 

え~本当は今日はお笑いの画像でも貼ろうかと思っていたのですが、ある出来事があり、このゲハジのブログ始まって以来、強い使命感に駆られるような気持ちで記事を書きます。このブログを始めたのは、この記事を書く為であったとすら感じています。しかしながら、この記事は非常に主観的に書かれており、あくまでもゲハジ個人の感じ方を述べたモノでありこの意見を他の人に強制するようなつもりはありません。

タイトルにあるように、主に女性の読者に向けてのものになりますが、男性の意見も是非お聞きしたい内容であります。また、気持ちがかなり昂ぶっている為、下品な表現も用いられる可能性がありますので、ご注意下さい。

長いですが、是非お読み下さい。

結論から申し上げます。


男性の価値に於いて
JW>一般人は真なり!


あ、此処でお断りさせて頂きたいのですが、所謂フリーセックスの唱道者であられる方、おセックスは陰茎と膣、及び肛門の単なる物理的接触に他ならず、パートナーや彼氏が他の人間の性器をチュッパチャップス(C)numeriしても、全く意に介さない方にとっては下らない記事になると思います。

前置きばかりで申し訳ありません。

今日の職場での事です。

二人の男性が会話をしていました。一人は(仮にAさんとします)小池徹平を男らしくした容姿で、非常に親切な方で、ゲハジのような下衆にも優しく接して下さるナイスガイです。Aさんには子供がおり、職場でも子煩悩な発言を多くされており、多くの人から好感を持たれています。もう一人の方も(Bさんとします)見た目は沢村一輝を15歳若くしたような容貌。接する全ての人に笑顔で接するような爽やかな青年です。既婚者です。
この職場に於いて、男性のランキングをつけるなら圧倒的にワンツーフィニッシュを飾るであろう二人です。

この所謂イケメンのAさんとBさんが次のような会話をしていたのです。

A「こんどのあれ、どうするの?」
B「いや、出来れば行きたいんですよね。」
A「部署が移ったら行けなくなるから、行っといた方がいいよ~」

最初は、会社の飲み会とかそういう類の話かと思いましたが、このBさん普段から「会社の飲み会とかって行きたくないんですよね。友達と遊んだ方がよくないですか?」とか言われてたので、出来れば行きたいと言ってるのが不思議だったので、よく聞いていると、どうやら、遠方の出張の話のようでした。中国地方まで行くようです。

B「そうですよね。行っといた方がいいですよね。チャンスだもんな~」

そりゃ出張断ったら、出世に響きますからね。リーマンは大変だ。とか思ってたんです。

A「あそこまで遠くだったら、絶対に関係者いないじゃん。」
B「そうですね。近場の出張だったら嫁の知り合いとかいないとも限らないですもんね。」

あれれ~なんかおかしいな~変だな~と思ったんです。(稲川淳二風)

A「そうそう、二日もあれば、色々出来るじゃん」
B「いい所あるんですか?」
A「あるある。電車でチョコッと行けば、ナンパ出来る所もいっぱいあるし、お店とかもあるよ。」
B「じゃあ後で、教えてもらってもいいすか?」

ここまで、聞いて愕然としました。凄く親切でセクハラとか絶対しない、愛妻家、子煩悩でしられるイケメンナイスガイが、出張時に女遊びをする事を平然と臆面も無く語っていたのです。

確かに今までも、一般の人が奥さんや彼女に黙って風俗に行ったり、浮気したりするのを見聞きした事があり、男とは浮気しやすい生き物であるという認識を持ってはいました。しかし、一般の人でも浮気は道徳的に許されないと考えて、パートナーを裏切らない人もある程度いると思っていました。

どうやら認識が甘かったようです。

悲しい事ですが、殆どの男性は、恐らくパートナー以外の異性と性器をチュッパチャップス(C)numeriし合う事に対して良心的な問題を感じず、それを相手に全く知られず行なう事が出来ると考えているのだと結論づけたくなりました。

あ、ここで、「でも、ゲハジと職場が同じならゲハジと同じブルーカラーの低所得、低学歴の奴らだろw」と諸姉は思われるかもしれません。それが違うのです。ここはゲハジの本来の職場ではなく、出向で来ている、ホワイトカラーで、ある程度社会的地位もある職場なのです。


最初の方で述べたようにこれはおセックスがフリーダムだと考えられておられる
サバンナ高橋のような方にとってはあまり意味を成さない話かも知れません。

しかし、exJWであったり、普通の育ち方をして来た女性の多くは、付き合ってる男性、ましてや結婚した男性が、普通にパートナーが他の女性と事を致す事に生理的嫌悪感を抱くのではないでしょうか。もしこれがゲハジの勝手な思い込みで、世界はいつの間にかフリーセックスが憲法で定められた基本的人権の条項に加えられていたりして、女性はいつでも誰とでもおセックスOK。なんて事になっているなんて事は無いと信じたいです。


だとすれば、冒頭に述べた命題
男性としての価値はJW>一般人が真であるというのは強ち間違った事ではないのではないでしょうか。

もちろん全てのJWが浮気をしない訳ではありません。中には排斥覚悟でそうする人もいるでしょう。
しかし、少なくとも、パートナーを裏切らないこの一点に於いてのみ、JWは一般の男性より優れていると私は言いたい。
そして、JWを辞めた男性の多くもこの点は変わらない人も少なくないのではないかと思います。
この辺は勝手な私の想像ですが、一般の男性が浮気する確率は6割強で、JWの男性の場合では1分も無いと思います。
つまり、確率的には100人中60人、つまり一般の男性をパートナーに持つ女性が10人集まっていたら6人は浮気されている事になります。されてないと主張する人が殆どでしょうが、男性は尻尾を残さずそうした事を行なう術を心得ているので、油断は出来ないのです。


だから、もし、貴女が結婚相手を探していて、何よりも夫婦間の貞潔を守れる相手を望むなら、JWの男性というのは非常に魅力的であると声を大にしてお伝えしたいです。しかし、現役JWは教義面での他の制約が多く、生活上の他の問題が起こることが想定されるので純粋にお勧めする事は出来ません。その点、元JWの男性は宗教上の問題が少なく非常にお勧めです。
ですから、職場で元JWの男性がいたら、宗教に入ってた変な人としてではなく、要注目の男性として見て頂きたいと思います。

そして、最後に元JWの男性へ。もし、JWの時と同じ男女間における倫理観、少なくともパートナーを裏切るなど考えられないと思えるなら、それは心ある女性にとって大きな魅力になるのとゲハジは信じます。

よくわからないけど、きっと(俺と)あなた方は地の塩です。


寄稿者:嫁さんと事を致したその日にエロ動画を見ていて、キツくお灸をすえられたゲハジ


男って本当にろくなもんじゃねえ。

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追記


凄い気持ちを込めて書いたのですが、結局アイタタな大したことの無い文章になってしまいました。
特に最後まで読んでくださった方には感謝を申し上げます。

JW経験者に幸福が訪れる事を願って。

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機を逸した感がありますが、ばうちんさんが振ってくださったので一筆。
ばうちんさんありがとうございます。

以下、ばうちんのゆっくり日記(完全凍結中)より転載します。

ばうちんさんの掲示板にあったこちらの相談にどう答えるかと言う事ですが…

以下転載
***************

ご相談があって投稿させていただきました。私は男性社会人です。

結婚を考えている女性がいまして、相手の親にも挨拶を済ませ、数日後に両家の顔合わせを予定しております。
私も相手の女性も母子家庭の一人っ子です。この状況で、相手のお母さんがエホバの証人であることを、彼女に涙ながらに告白されました。
彼女の人生の中で初めて人に告白したそうです。彼女は信仰しておらず、理解もできないといっています。

私の親に伝えた所、そちらのお母さんとは何かの節目の時以外は一切交流を持たない、親戚にも一切会わせない、私の家側に一切、信仰している影響を及ぼさない(お嫁さんにもらう相手の女性を含め)ことが結婚の条件だと言われました。
また、私が相手の家にお邪魔することもいけないそうです。

柔らかい言い方ではありますが、彼女にもそのことを伝えると、そういう信仰を持っていても私の母親だ、一度もお会いしていないのに信仰だけで、完全に拒絶するのではなく、しっかりと話しあっていくことはできないのか、といわれました。

私の母親は母の親友の周りに起こったエホバの証人にまつわるトラブルの印象が強烈過ぎて、完全拒絶するスタイルは変えられないと言っています。
相手のお母さんは信仰がそんなに悪いことなのかと泣いておられます。
彼女のお母さんは明るくてとても気持ちのいい方です。まだ信仰の話はしたことはありませんが・・・

実は両家の顔合わせの予定は本当は結納のはずでした。私も彼女もその日を待ち望んでいました。
しかし、信仰の話を聞き、それは、すぐにはできないとの私の母親の判断で顔合わせの食事会になりました。
母親の対応は彼女や、彼女のお母さんを傷つけているので、食事会に来てくれるのかどうかもわかりません。

母親の言っていることもわかるし、彼女の気持ちもわかる、彼女のお母さんの気持ちも理解できるので一体どうすればいいのかと途方にくれています。
いいアドバイスを頂戴できればありがたいです。

****************
転載終わり

基本的にJW家族の問題は家族しか解決できないと言う意見に私は概ね賛成です。恐らくこの種の問題は、”どうすべきか”ではなく”どうしたいか”が問題になるのではないでしょうか。

とすると。
専門家ではないのに、この問題に答えるには、自分だったらどうするかと言う答え方しか出来ないと思われます。

そして、もしこの質問者が婚約者を真剣に愛しているという大前提を置くなら、この方がまず語るべき相手は婚約者になるでしょう。

僕だったら、こう言います。
「一人の人間として"あなた"を愛し、結婚するのだから、私は、貴方の親と出来うる限りの親子関係を築きたいと思う。しかし、一方で私の母親も一人の人間として生きているので、彼女に無理に
関係を強要することは出来ない。そして、僕が子供として母と接する事も承諾して欲しい。」

一方で私は自分の親に対し、「宗教上の理由で(会いもせず)個人を判断するのは狭量であり、理解できない」と伝えると思います。

結婚式等は二人メインで無宗教でやって、来たい親は来ればいいと思います。
結婚はあくまで二人の為のものであって、親は見守るだけの存在だと考えます。

客観的に言えば、障害を乗り越えて一生愛するのに値する相手かお互いに考える、いい契機だと無責任に思いますね。

ただ双方とも一人親なので、介護などの問題が起こってきた時どうするかと言う事も考慮しなければならないでしょうか。

加えて言うと、基本的に自分には娘がいるので、その視点がどうしても出てくるのですが、女性にはどんな障害をも乗り越える気概を持った男性と結婚して欲しいなんて気持ちになります。そして、不幸にもJWに育った彼女をオレが幸せにしてやると言う気持ちが無いなら、やめとけ。と言いたいですね。

まぁJWで育ち、マイノリテーに対する過剰な意識を持っているが故にこういう言い方になります。

そして結納とか関係ない下流の人間なので言える事です。

結局、他人が言えるのは、頑張れ!という無責任な言葉でしかないのかもしれませんね。


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