ゲハジは別に犬死でいいじゃない。

JW追憶記

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時にはリア充のように by黒沢ゲハ男 

素敵と叫んでおくれ


…今日は子供の授業参観に行ってきましてね。

こんな父親が来ても喜んでくれるのはあと何年でしょうか。
でも今日は「パパ来てくれるの!?やったー!!」と言ってくれました。

僕ぁ、君の笑顔を忘れないぞ。
死ぬまで忘れないぞ。いいだろう?

近所の人達も可愛い娘さんですねと言ってくれます。
ですが、本当は家内も私もわかっているのです。

どんなに可愛くてもJW3世はJWなのだと。
不幸になる可能性の高いカルトの子だって事は!

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すいません。これ色んな歌詞のパロディを切り貼りしただけです。

うちの子が運動会の応援歌を元気いっぱい歌っておりました。
それを見て、自分のように学校の行事が来る度おなかを痛くするような学校生活を送っていない事に安心しました。けれども、学友とその親の一部にはうちがexJWである事が知られています。この困難にこれからどうやって付き合っていくか、これはJW2世以降の子供達が抱える問題のユージュアルケースであり、脱JW2世の主な関心事の一つとなるのかもしれません。これから出産を控えておられる方もおられますし、ゲハジの体験から何がしかの有益な報告を行うことが出来ればよいのですが。


どのようにわが子からJWの影響を消し去っていくのか。これが中でも大きな論題となるところだと思います。
ゲハジ自身はキリスト教文化の良い部分も否定しきれないので、如何に良いところを残しつつどのように教育していくかというのも思案のしどころであります。

少し具体的に現況を書きますと

現在、子供にはJW的禁忌は一切教えていません。ですが、集会や大会(年に数度)出席せざるを得ない状況があり、その中で祈りや神権用語、輸血拒否などのJW教理に晒される事があるので、JWからの影響は皆無とは言えない状況です。とはいえ私自身は聖書の基礎知識(これにはJWの教えの正当性、非科学的教育の是非云々で議論があるかと思いますが)を得るのは教育として悪く無いことだと思っております。欧米人のようにどこかで神を信じ、厳格でなくていいので、都合の良い倫理規範のよりどころにしてもらいたいとすら思ってます。

中々JWの教えもちょっと取りりれちゃおうという2世の方は少ないと思いますが、どなたか良いアドバイスございましたらよろしくお願い致します。(お叱りのご意見も謹んでお受けします)
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マクドナルドで食事をした。仕事中であり、移動で時間がとれず已む無くのチョイスである。無論の事、セットなど頼めるわけも無く、ハンバーガーとコーラのSサイズを注文する事を決めた。レジは二つ空いている。右側の列を選んだ。私の前に並んでいた高齢の方が初めてマクドナルドに来たらしく、注文するのに手間取っている。気付けば私より数分後に来店した客が既に食事をしている。自分の列だけ進むのが遅いのはいつもの事である。

その事実に私は、悄然としながらトレイの上に小さくならんだ二つの食物を零さないように苦慮しながら席を探した。フロアーを2周ほどして見つけた一つの席に腰をかける。

隣には、不思議な男性が座っていた。コーヒーだけがトレイに載っている。これは別段珍しい事では無い。私もコーヒー一杯のみで時間をつぶす事は儘ある。その男は折り目正しい清潔なスーツ姿で、身長は180センチ以上あると思われた。私は彼の右隣に座ったので、横目でその容貌を捉えていた。顔は中国のバスケット選手のような面容であり、表情は乏しかった。体臭がきつい訳でもない。何故、私はこの男を不思議だと感じたのだろう。と思う。目を前に向けると彼のテーブルに一冊の雑誌が置かれているのが視野に入る。薄手の雑誌だ。更に見ているとそれは中国語の雑誌である事がわかった。漢字が2段組で並んでいる。また彼はその雑誌を読みながら電子辞書を片手で操っていた。私の脳が一つの可能性を示唆する。

彼はJWなのか。

どうやらそのようだ。

捲ったページの右隅にあの独特の写真と、下段にある質問のような部分を見て、私は確信した。彼は中国語会衆の人なのだろう。しかし、何かがおかしい。彼は電子辞書を片手にものみの塔を予習しているのだが、その姿が非常に不自然なものに感じられる。暫時の後、気付く。聖書が無いのだ。彼は聖書無しでものみの塔を予習しているのだ。JWの研究はやはり聖書ではなく、協会の出版物を研究するものなのだと得心した。彼の行動は更に私の注目を引いた。彼は何故か雑誌を閉じ、裏面を表にして、ものみの塔を鞄にしまったのだ。それは表紙を隣の私に見せないようにしていたように感じられた。もしかするとそれは中国という禁令下での活動に備えた「蛇のように用心深い」行動なのかもしれないが、単純にものみの塔を人に見られるのを恥じているのではないかと疑える所作でもあった。

このような時に、つまりJWである事を恥じているような可能性がある人に出会ったとき、脱JWとして謂わば逆非公式の証言が出来るようであるべきなのだろうか。やはりそれは溺れかかっている人を見殺しにしているような状況ではないのか。では、それはどのようにするのが効果的なのだろうかと、逆の伝道者になったような気分で考えている自分がいた。

彼が立ち去る。

それほど大きくは無いが、やはり歴然とした罪悪感が私の中に残された。

その後、トイレに入り鏡を見やると、無精ひげを蓄え、髪の毛には脂が溜まり、眼窩は窪み、隈(くま)で縁取られた澱んだ目を向ける男がそこにいた。蜚蠊じみている。この男はどう見ても幸せな状況にあるとは言えない。このような人間が、「あなたの宗教はまやかしである」といった所で、何の説得力を持たないことは瞭然である。先程、出会ったJWの青年に真実を伝えられなかった事を悔やむような気持ちでいた自分が酷く滑稽に思えた。



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さっきwikiみたらJWって世界人口の0.1パーセントも存在するんですね。そりゃニアミスも普通にするがな。とか思いました。

タイトル関係なくてすいません。
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映画バンテージ・ポイント

bantage

スペインで起こる、アメリカ大統領狙撃事件を、8つの視点から描いた作品。8つの視点といっても8人の主人公というわけではなく、おおまかに8回の視点の変更があり、各々重点となる人物がいるという感じ。最後の8つ目の視点で始めてクライマックスが明かされます。こういうのをクリフハンガーと呼ぶ事を初めて知りました。(恥

イスラムのテロリストが犯人グループとして描かれるが、決してやみくもな狂信者には描かれず、アメリカにも非があるように読める部分も描かれてるので、頭の悪いゲハジも好感触。

この手の多視点を使ったり、斬新ぽい手法を使った映画(デパルマとかの)は手放しで楽しめる能天気ゲハジであります。デニスクエイドの顔は好みじゃないんですが、ストーリテリングの妙で最後までだれることなく見れました。

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この映画に限らず、アメリカの映画には、自国(の組織)の恥部や暗い部分を暴いたものが一定量存在していて、ゲハジも結構好きなんであります。ソダーバーグ関連のトラフィックとかシリアナとか。そういう自己反省的なモノが描けるのって社会が健全な証拠だよな。と。

でも、ふと今回の映画を見ながら感じたのは、そういう映画が描かれる一方で米国(だけじゃないですが)の犯罪的とも言えるような政策とか、軍事行動、諜報活動は結局続いている。とすれば、これは一種の免罪符的な効果を狙ってるのではないだろうかと言う事です。映画等で描かれる事で、いわば正義心のようなモノのガス抜きが行なわれてしまっているのではないだろうか。我々は、悪い事もしている。だが、それは言論の自由で表現する事が出来る。だからイイじゃないか。と言われているような気になりました。

寧ろ、アメリカ万歳!帝国主義万歳!イスラムとか 第3社会 第三世界とかキモい!という映画を描いた方が、実は世界をより正しい(←胡散臭い言葉ですいません)方向へと導ける。というかそういうモチベーションを国民に与えるような気がしたんです。

演繹して、JWブログに於いても現役の方の、所謂、「組織の矛盾は知っている、こうした問題がある、だが個人として正しく行動したい」というような主旨のブログも、一見真実を伝えているように見える映画同様の効果があるような気がします。
私のような頭のいくない人間は「あぁJWにも良識のある人がいるんだ、そういう部分も考慮しなくてはいけないな」と思ってしまう訳です。
逆に「JWマンセー!」「背教者とかマジキモいんですけど、みたいな(キングオブコメディー)」とか書いてくれると、JW問題はやはり是正せにゃいかんと言う気運が高まるんじゃないでしょうか。もしJW内部にいつつ、組織に壊滅的な影響を与えたいと考えてる、内部改革派のような方々がいるのなら敢えてそういうブログを立ちあげるのもアリかなと思いました。色んな人から物凄く叩かれて炎上したりするのに耐えて、反JWの火を絶やさない為に俺は頑張るとかやってたらカッコいいかも知れません。

てかゲハジよ、お前がやれ!

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あ、最近の映画って公式サイトも凄く面白いものが多いですよね。
この映画のサイトも凝ってて面白かったです。
公式サイトのリンク
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死んでも治らない病。 

さつきさんが興味深い記事をあげておられました。

難しい問題なのに巧みな例えが用いられていて、私のようなものも理解できた気になれました。価値という言葉そのものにも説得力のある考察が加えられています。

このような興味深い記事を書ける人が存在する事こそ、人間の”価値”が存在する証明になってるような気にさえなる記事でした。

しかし、価値というものの有る無しという論議に鮮やかに終止符が打たれます。
さつきさんの記事より引用:

もう一度、根本に立ち返るならば、誰しもが誰かに言いたいのは、「自分は価値のある存在なのかと、苦しまないで」ということです。


この一文に尽きると思います。

なんですが、ほんとにお前読んだ?理解できてないじゃん?という突っ込みを覚悟しつつ、価値的なものについてちょろっと書きたいと思います。

以下は所謂JWの教理から来ている考えだと思うので、不愉快に感じられる方もいるかも知れません。御注意下さい。

私は、”我々は偶然の所産である。絶対的価値や目的というものは存在しない。それ故に尊い。”という式が成り立つのかどうかというのが大変興味があります。

正直に言ってしまえば、その式は成り立たないように感じています。単なる偶然であれば、それを尊ぶ事は自由ですが、尊ばなくても何ら問題はないような気がします。究極的に人の持つ感情や思考というのが、物理現象でしかないのなら、幼い命を快楽目的で奪う人がいても、或いは愛する人を強姦されたとしても、気に留めるべき根拠というものは、究極的には存在しない事になるような気がします。それは人間が進化の過程で獲得した家族というシステムを維持する為の脳活動の所産に過ぎない。と考えてしまえるのではないでしょうか。

話が飛躍しますが、そうなるとJW含む宗教というのも、無価値であり、無価値でない。そこに存在するものとして認めざるを得なくなるような気もします。

こんな事をグジグジ考えているのは、自分がJWを離れてから、神の存在に疑いを持ってから自分のモラルが明らかに低下しているからです。もはや私の中には倫理や慈悲というものは無くなっています。テレビで青木さやかや、MISONOを見て普通に殺意を抱いてしまうほどです。

進化論、唯物論が倫理の根拠を壊すわけではない。というような話は、既に多くの偉い方が考えつくしていると思うのですが、ゲハジはそうした知識を得るに至っておりません。

価値の有る無しを定めるのは人間の意識です。その意識自体を現実のモノとして認められるのかどうかもゲハジにはあやふやであります。意識がシナプスの間隙を縫う化学物質により引き起こされる電気的作用の集積に過ぎず、その現象も突き詰めた先には10次元の紐のようなものに還元されていくのだとしたら、それは現実なのでしょうか。やはり我々は人知を超えた存在が紡ぐ、遊戯のような詩の一篇に過ぎないような気さえしてまいります。すいません適当に書いてます。

実存の3段階というのがあるそうで、私もその第2段階にいるのかなという気がします。そして3段階に憧れているという。

独学ノート URL:http://note.masm.jp/より引用

キルケゴール †

デンマークの思想家,実存主義の先駆者。とくに抽象的で超合理的な体系を構築したヘーゲルの弁言正法を厳しく批判。また熱烈なキリスト者であり,人は「いかにしてキリスト者となるか」を問いつづけた(有神論的実存主義)。
主体的真理
情熱なく無関心に探求できる抽象的な客観的真理に対して,人がそれによって生きかつ死ぬことができるような真理(イデー)を主体的真理という。真理とは,生きることと無関係に存在するのではなく,「いかに生きるか」を問うなかで探求されねばならない。キルケゴールはこのような異理を「私がそのために生き,そして死にたいと思うようなイデー」とよび,生きることと無関係に探求される抽象的・客観的真理(例えばヘーゲルの体系)を批判。
単独者
自己を見失うことなく,単独で主体的真理を探求する理想的な人間を単独者という。生涯キリスト者であったキルケゴールによれば,神との関係を失ったとき,人間は絶望におちいるが,この絶望をきっかけとしながら,神を求めて命がけの飛躍を決断するとき,人間は主体的真理を実現することができる。
実存の三段階
人間の生き方は,絶望を経験することによって深まっていく。キルケゴールはそれを三つの段階にわけて考た。
美的実存
ひたすら快楽を追求するが,決して満足できず倦怠感・虚無感におそわれ,絶望におちいってしまう段階。
倫理的実存
快楽の追求を断念し,自己の倫理にしたがって生きようとするが,良心的であろうとすればするほど,逆に無力感におそわれ,絶望におちいってしまう段階。
宗教的実存
絶望のただなかにある単独者としての人間が,神と出会い真の人生を手にすることができる段階。




ここをご覧の方で、こういう事をゲハジのような者にも分かりやすく書かれた本を御存知の方がいらっしゃったら教えていただければ助かります。

さつきさんが紹介してくださった方の本も読みたいと思っております。

まぁあれです。自分の頭の悪さがホトホト嫌になります。

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遅れましたが、このブログに訪れてくださった皆様、つたない記事を読んでくださり、ありがとうございました。
コメントまで下さった方にはほんとに言葉が無いくらい感謝しております。
来年も継続するかどうかわかりませんが、よろしくお願いいたします。

どうぞ皆様良いお年を!
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A dog don't eat this shit. 

JWもしくはexJWの方にちょっとご紹介したいブログがございます。

さつきさんという方の”もう一度はじめから”です。
ブログURL→http://blog.goo.ne.jp/satukimay_2008

現役のご主人を持つ、非信者の女性がかかれておられるのですが、JWに対する疑問をメインとしてご主人に対する思いなどが、読みやすい文体で綴られています。

でね。JWで、空気の読めない人って多いじゃないですか。もっと言えば人の気持ちを理解できない奴。
恋愛ベタっていうか女性の心理が理解できない奴。
JWブログでもそういう人を揶揄するネタが多いですよね。

そういう野郎には”もう一度はじめから”を是非読んでもらいたい。
女性とはいかなる気持ちを抱いているのか。その辺りを理解できた上で女性と接したらいい。


まぁそういう僕も先日のエントリーのコメント欄で匂わせていたように、つい昨日まで、夫婦喧嘩してたんですよ。

ちょっと犬も食わないようなお話でありますが、しばしのお付き合いを。

さて、今回も「離婚する、しない」そんな所までいったゲハジの夫婦喧嘩。原因はなんだったのでしょうか。

常日頃よりゲハジは妻に対し、女性とは、須らく杉本彩のやうに「いつまでも殿方の欲望の対象でありたい」と思い、精進しなければならないと口を酸っぱくして申しております。
しかし、あまりにしつこいその要求の為、妻が業を煮やし「何でそんな事、言われなきゃならないんだハゲ」という気持ちになってしまったのか、私の指示を聞かなくなってしまったのです。

私は夫婦が愛し合っていくためには、男女として魅力的であり続ける事も、家族としての愛情と共に車の両輪のように重要な事だと考えています。結婚して何十年と経とうが、決して「おい。メシ」「…」「風呂」「…」みたいな夫婦にはなりたくないのです。「今日はどうだ」「いやだわ、あなた」「本当はそちも望んでおるのだろう。グフフフ」「お許しください」の方が良い。何だこれ。

妻の言い分はこうです。「私が努力して頑張っても、男は浮気する生き物だから、年取ってから浮気される可能性は高いよね。そうなったら損でしょ。だったら努力しなければそこまで損した気にならないじゃん。」

ゲハジ「ああ分った!じゃあ離婚しよう。女性らしくいない妻と一緒にいたって意味が無い!」

会衆の皆さん。ここでゲハジの妻が述べている努力とは何の努力の事だと思われますか?

そうです。それは巨乳になる為の努力です。具体的には、まず一端、主に食事法によるダイエットで脂肪を落とした後、ウェストニッパー、ガードル等で体を締めつつ、もう一度、脂肪性の食物で元の体重まで戻す事で巨乳を育てるというものです。これは一つの巨乳育成システムとして特許を申請中です。もちろん嘘です。

こんな事を言われたら普通の女性は「そんなアフォと付き合ってられるか!」と緑色の紙に勢いよく、スパーと判を押される事でしょう。しかし、ゲハジの妻はそんなアフォに、今まで文句も言わず付き合ってきてくれてました。で結局、今回も仲直りしてくれた訳で、やっぱり僕にとっては本当に良い嫁さんであります。

しかし、なぜ今回は反抗してきたのでしょうか。

原因は前回のエントリーにありました。
「どうせあんたは巨乳の看護婦のおっぱいを触りたいだけなんでしょ。」

口は災いの元ですね。今度は「寝ている間に尿道にマイナスドライバー入れとくから」とのお達しが。

うん。女性の気持ちを理解してないのは誰あろう私ゲハジであります。
JWのみなさんの事を論ってる場合じゃねぇ。
そういえば、今日も「あなたは本当に人の気持ちが分からないよね」って冷たく言われたのでした。



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さつきさん
変な紹介になってしまってすいません。
でも、女性の考え方を理解する点で本当に勉強になっています(感謝

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