ゲハジは別に犬死でいいじゃない。

JW追憶記

R.I.P

昨日、戦友が一人この世を去った。
最大の敬意と哀弔の意を込めてこの動画を貼る。


マイコーりょう


マイコーりょうオフィシャルブログ

ふぉーっ!

パン!茶!宿直!

素晴らしい音楽を、そして人生というエンタテインメントをありがとう

R.I.P

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今月の自画像

気づいたら足にこんな人がいた。

自画像0906
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東京オフだよおっかさん

締め切り迫ってきたので再掲載だぜ。(何このテンション。)

夏。東京。ビッグオフ開催。
ゲハジ参加検討中。多分3次会。

すいません安顕気取りました。

夏なので、蒸れる頭皮と体臭対策を考えなければ。

以下ばうちんさんの記事より転載させていただきました。
(ばうちんさんの記事で参加へのアドバイスもありますので初めての方は、元記事もごらんになる事をお勧めします。)

追記:
まいける先生もアドバイスを書いて下さってます。

お二人ともこういうアドバイスをする心配りが出来るってかっこいいですよね。

追記2:
紫陽花さんもご紹介されていて、まだ行った事の無い方の不安を取り除いてくれるような温かい記事が書かれていましたので、こちらもお読みになることをお薦めしたいであります。

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日時:7月18日(土)
場所:都内のどこか(多分いつもの辺り。。。)
時間:1次会:15:00〜、2次会:18:00〜、3次会:24:00〜(予定)
締切:7月3日(金)
連絡先:toshiki@apost.plala.or.jp

主幹事は「としきさん」

詳細が決まっていくごとに連絡を差し上げます。
前回同様で、ブログ形式の連絡になるかもしれません。

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書け!何を!人生を!

どもー!
FIT’SのCMを見ていても真ん中の渡辺直美しか目に入らない圧倒的マイノリティー変態野郎マクガイバーです。
たむらぱんはどうも苦手さ。
今調べたら、fit'sミックスベリー味人気で販売一次休止だってさ。
渡辺直美のおかげだな。
つどうでもいい。

でゲハジ、今、気付いたんですが。
いや、少し前から気付いてはいたんですが。(少しかよ!)
俺って、ただただ長い文章を書きたいだけなんですよね。
長い文章を書く事でカタルシスを勝手に感じてる迷惑オナヌー野郎で本当すいません。
今回も例によって、長いだけで内容はありません。自分の変態体験を書いてるだけです。
ブログ開設から1年をゆうに越しているのにこの体たらく。
進歩せよ!と自分に言ってやりたい気分です。
進め♪進め♪またき見て♪
力増すは神の御旨ぞ♪
進歩目指しよく励め♪
その先ちょっと忘れた。

とはいえ、今回初の5000字越えに成功。ふふふ。
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書け!何を!人生を!

敢えて畳み掛けようじゃあないか。

私は先だっての記事でゲハジが更なる次元に到達したと自負する。つまりこれまで堂々と冠していた変態という言葉の上に(下かも知れない)マザコンという称号が追加されたのだ。
もはや恐れるものなど何も無い。

--

殺人事件が起き、その犯人が暴力的なゲエムや音楽を好んでいた事が報道されると、とかく識者ぶった人達が、「暴力的なゲエムをした人間が全て殺人を犯す訳ではないです。」「殺人を起した人がいるからと言って直ぐにゲエムなどの表現を規制するのは如何なものか」としたり顔で述べるの見ると、小首を傾げて禅問答をしたくなる。

人は、芸術、報道、その他自らを取り巻くあらゆる情報に影響を受けて生きるものであると思う。殊に自ら嗜好し大量に情報を浴びるならその影響は必ずや大きいものになるに違いない。良質(と信じられている)の芸術や表現物を鑑賞したのち、「生きる希望が湧きました」だの「感動した!僕もキムみたいに脳科学者になりたい」などの感想を洩らしても誰一人「いや創作物に人は全く影響をうけませんからそれはありえないpゲラ」とは言わない。良質と謳われる情報からのみ影響を受け、悪質なそれからは影響を受けない理などあるだろうか。藝術の良し悪しは、その内容で決まるのではない。どれだけ人に影響を与えられるか、その力の大小で決まるのだ。だから、殺人ゲエムであろうと、悪霊的なヘビーメタル(ものみの塔誌の記述に倣って)であろうと、戦争映画であろうと、性倒錯文学であろうと、人が、その心が打ち震わされ何かに向かって突き動かされれば、それは何であれ藝術であるのだ。

話が更に脱輪するが、藝術に関して物事の表層しか捉えない人間というものにも辟易させられる。現役エホバの証人当時、インテリを気取ったエリヰトイケメンJW君が「いやぁ姉妹、やはりモオツァルトの音楽は素晴らしいですよ。この間弾いたラフマニノフもいいのですが、彼の音楽は技巧などでは表現しえない崇高さがあります。既に語り尽くされた感があるとは言え、本物の美には永遠性がある故に語らざるを得ない。それは姉妹。いわば君の様に美しいのです。そうだ、K525を今練習しているのですが、昨日、新たな解釈に基づく演奏に到達しました。また今度、うちに聞きに来てください。」のような内容の事を言ってるのを小耳に挟み、反吐が出そうになった事がある。お前、モーツァルトの書簡読んだ事があんのか。ウンコオシッコ、のオンパレエドだぞ。今、ウンコオシッコだのの手紙を書いてる人間の音楽をエホバが認めるのか。などと思いながら聞いていると、相手の姉妹はあろうことか瞳を潤ませて(恐らくは下半身も)「素晴らしいですわ!是非聞かせてくださって!」とか言っている。このウンコ破廉恥野郎どもが。

若干、表現を誇張したのは認め、詫びよう。

逆恨みも甚だしいのは承知である。

本当はそのような作品と関係の無い人柄や蛮行をもって、音楽の本質に耳を傾け理解しようとしない人間こそが物事を表層でしかとらえていないと言うべきなのだろう。

話を戻そう、つまり芸術の例をとるまでも無く、人は情報から多かれ少なかれ影響を受ける。しかもそれを取捨選択したり、“自らの意思に基づかずとも限定的な情報を相当量自らに取り入れるなら”その影響はより大きなものになろう。そしてその情報による影響の蓄積で人格や人間性といったものが形作られる。低俗な例だがBURRN!やDOLLなどしか読んでいない人間は、メンズノンノはもとよりグッズプレス、プレジデントそしてものみの塔の出版物を精読しているような兄弟に太刀打ちできないのは確かだ。

故に。
幼少期における悪しき体験は、より一層人格に暗い影を落とすのである。

3歳から高校卒業まで私の両の尻はその愛撫を受けていた。右の尻が奥に位置する事が多かったから右の尻の隆起が大きいようだ。ここから影響を受けないでいられる理由などあろうか。3歳の子供、それは真っ白なカンバスである。そこに暴力の筆で書きなぐればどのような絵が書きあがるのか。問うまでもない。
鞭を暴力と呼ぶことに若干の抵抗を感じないでもない。何故だろうか。そこにやはり母の愛がかぶせられていたからだと思う。しかし客観的な事実はその表現と異なるだろう。私はほぼ毎日、奉仕中に手を放した、或いは集会中に寝ていた。等の理由から1〜10発の鞭を受けていた。時には数十発、百を数えることもしばしばであった。そのうち幾らかは確かに痛みでもって教えなければならない場面もあったと思う。しかし、その多くは口頭で叱る事で目的は果たされたのではないかと今は感じる。やはり其処までの頻度の力による制裁は暴力と呼ぶべきだったかも知れない。
悲しいことに幼子は母の愛を疑わない。恐らく、どんな罵りや暴力を振るわれようとも自我が芽生える前の幼児は母の愛を疑わない。母は自分の正義、基準であり、さらに言えば神そのものだったのだ。故に、神が行うモノである為に、鞭の正当性に疑いを挟む余地など微塵も無い。叩かれる私が悪いのだ。そしてそれは愛に基づいている。私の神は当時の巡回監督の進めに従って、鞭の後、私をしかと抱きしめる事を常としていた。暴力と抱擁。心を蝕む翼君と岬君、つまりゴオルデンコンビである。

暴力の愛に魅入られた少年ゲハジの心は傷だらけになったのか。否、幼いが故にその力を飲み込み心の形そのものが歪んだのだ。黄金のように美しく、そして柔らかな幼心は打ち叩かれ、歪み、曲がり、捩れ、醜くなってしまったのだ。

とは言え、それは私の母の愛を写し取った形に他ならない。子は皆、親の愛の形に作られていくのだと思う。それがどんなに歪なものであろうと、それは愛の形なのだ。もしその形が美しく正しいものであれば、それはそのままでも良い。その愛を、自分の周囲や子々孫々に受け継げばよいのだ。しかし、それが美しく正しくなければ、それは否定すべきなのかもしれない。親の歪んだ愛を否定して正しい人間になる事が出来るのだろう。私のように歪んだ愛の形を肯定し、そこに拘泥する者はやはり異常者である。吐き気を催させるマザコン男として全人格をされるべきだろう。



小学校六年の時の事である。家庭科で料理を作る授業があり、食材も生徒が決めて、班ごとに土曜日の放課後、買出しに行くという事があった。班には私が恋心を寄せる女子がいた。足が速く、臀部が美しかった。
だが、我が家は我が神こと私の母は放課後の一般生徒との交流を固く禁じていた。況や異性の学友と時間を過ごすなど言語道断であった。
だから、不安を抱きつつ母に授業の事を伝えた。
答えは、否であった。
私も食い下がった。神の逆鱗に触れようとも、好きな女子と密に接する事が出来る好機を逃す訳には行かない。それは飽くまでも授業であり買出しもその一環であること、集会までには必ず戻ることを強く主張した。
従順であった筈の我が子が何故反抗するのか訝しみながら、母は驚くべき決断を下した。

行くのは止むを得ない。だが、買い物の後、20発の鞭を与える事とする。

当時の私はこれを大変に喜んだ。鞭を受けようとも、学友と買い物に行くことが出来るのだ。今思えばこれは狂気以外の何物でもないと理解できるが、当時の私にとって、それほどまでに鞭は日常化しその痛みも相対化されていたのだろう。そして少年期に当然あるだろう級友への帰属を強く希求していた表れだったとも考えられる。

買い物の日。私は嬉しさをこらえ切れず待ち合わせの学校に30分も早く到着していた。通常であれば、奉仕場所で集合している時間帯だ。私は狂喜のあまり校庭の鉄棒にぶら下がりグルグルと回っていた。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
なんだか気持ちがいいねぇ。
ゲハジ君!ゲハジ君!
友達に呼ばれる声で正気に戻った。

バスに乗り、スーパーへと向かう。揺られながら気付いた。大人の監視する目が無い状況で同年代の人間と接しているのは初めての体験だ。これが自由だ。言い知れない開放感と興奮が私を包んだ。隣には好意をよせる女子。会話をする事は出来なかった。側にいるだけで幸せだった。切ったばかりの短い髪の毛に見とれていた。それは暮れかけた日に光って綺麗な茶色だった。

だが、その幸せな時間は長くは続かなかった。急に背徳感と恐怖感が私を襲った。あと数時間後には母の鞭を受けるのだ。しかも、買い物が長引き、母に帰宅を約束していた時間まで迫っている。我が母は学校のある日に門限を設けていた。私は学校終了時から20分後には帰宅するように厳命されていたのである。それに背けば10発の鞭である。つまりこのまま帰宅が遅れるような事があれば、最低30発の鞭が私の柔らかい尻に爪あとを残す事になる。
恐らく我が家は近隣の会衆でも最も厳しい基準を持っていた。
小学校高学年の私の体は1、2発の鞭にはある程度耐える事が出来るようになっていた。だが、30発となると話は違う。30発の内、数発は大腿部や腰部にずれ大きな激痛を伴うだろう。また蚯蚓腫れの更にその上を打ち据えられれば、出血も有りうる。自分が鞭打たれる姿が脳裏に浮かび、脂汗が出てきた。友人達に急いで帰らなければならない旨を伝え、怪訝そうな目を向ける彼らを後にして走った。

鞭を打たれる僕のため
もっとバスよ真面目に走れ!

いつも、いつも私は何かに追われているようにして生きている。

気がつけば、母がその右手を振り翳していた。
16!17!18!
カウントする声が遠く聞こえる。
21!22!
ああ、間に合わなかったのだ。

告知済みの鞭だった為、母は感情的になっていなかった。鞭の直ぐ後に、買い物で何を買ったのか、授業では何を作るのかを尋ねてきた。私は穏やかでいる時の母が好きだ。痛む臀部をさすりながも、嬉々として来週作る菓子の事を話した。

翌日、体育の授業で使うマットを学友と準備する私がいた。友人が何故急いで帰ったかを尋ねる。私は何故か気分が良かったので、「トイレに来てよ。凄いもの見せてあげる。」と言い、トイレに学友を誘った。そこで、徐に体操着を下ろし、「見ろよ、うちは門限守らないとこうなるんだぜ!」と意気揚々と言った。
赤黒く腫れ上がった尻。幾重にも盛り上がった群生する蚯蚓腫れ。
学友は絶句した。

嗚呼、私達親子は、否、私はくるつていたのだ。



このような経験をして尚、私は母を憎んでいない。JWの家に生まれたことを強く悲しんだことがあるのは記憶している。だが、母自身を恨んだ記憶が無い。加えて母をこの道に引き込んだ司会者や組織に対する憎しみすら感じる事が出来ないでいる。これは恐らく健全な事では無いのだろう。それはやはり文中に述べたように鞭と矯正と愛情を混同して捉えてしまったのがその由であるように思う。
とは言え、実は7,8,90年代のエホバの証人の社会において、私のような境遇は取り立てて珍しいものではない。むしろ大勢を成すものだと言えよう。そうであるのにも関わらず、多くの元JWとは異なり、JWと家族との清算が出来ないでいる私は、やはり自分自身にこそ問題があるのに違いない。と結論せざるを得ない。

しかし恐らく、大量殺人を犯した人間達も、その影響元となったゲームや音楽それ自体を恨むことは決して無いだろう。彼らが恨むのは飽くまで人間社会全体である。私も同様なのである。

お門違いも甚だしい。

而して、私はこうした文章が良識ある多くの人々の神経を逆撫でするものである事も確乎りと認識している。とは言えそれを覆い隠してみたところで意味のある事は生まれないような気がする。やはりそれは私の心の中に歴然として存在するのだから、憎まれようと、疎まれようとも、変態野郎として身分が確立された今こそ、更に包み隠さず、人生を叙さむとする所存である。

冀わくは、私のような心情にある少数の人々が孤独ではない事を知る契機とならん事を。

--
だからいないって。
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我、彷徨う故に我あり。

ふと、CDショップに立ち寄った実に3,4年ぶりの事である。

ただ、それだけ。

視聴したCDをあげるだけの記事。

チェルベロさんこいつらお勧めっす。
もう知ってるって?
dragon guardian



agonist
女性デス声vo.
スゲ。


FACT
日本人なのにスゲ。
リンキン系の前半はイマイチですが、他の曲とかは変態ヘヴィな感じでイイ。
新しい事やろうとしてる感じも◎


hollywood undead
どうなんだろこういうラップ。
古くないのかな。でもスクリームの音質が好き。こんな声出せたら気持ちいいだろうなぁ。
http://www.youtube.com/watch?v=uQw6LHv46Pk

the Devil wears prada
お洒落なルックスの若者によるデスコアですな。多分。
これも突き刺さるようなデス声がいい。
まぁバンド名勝ちですね。


there for tomorrow
オッサンには爽やか過ぎるがメロディーはそこそこ秀逸。歌も上手そう。


kevin rudolf
こういうのが今、かっこいいのかな。オサンにはそのあたりちょっとわからん。
でも体がつき動かされる感じは凄い。


marilyn manson
実はオサン初めて聴いたようなもんなのだけど(恥)
結構イイですね。なんて言うんだろう。デカダンスな感じ。これも下半身が自然に動く感じですかね。
しかも段々カタルシスに向かってく感じもエエ。
http://www.youtube.com/watch?v=TWU5cdjXr9Q
埋め込めない。

まぁいい年したオサンが視聴コーナーでニヤニヤしてたわけでね。
何も買わず店を出る時の虚しさったらなかったです。



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